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プロ野球 無観客試合開幕 うれしい。

> プロ野球 無観客試合開幕

 

  6月19日(金)プロ野球がナイターで開幕。

 伝統の巨人阪神は3:2、

 吉川尚の逆転一発で,巨人通算 6,000勝。

 コロナ禍の中、明るい話題である。

  昭和33年の長嶋選手デビューの頃、

 丁度、テレビが我が家にも入った頃、

 ラジオでプロ野球中継を聞いて草野球、

 三角べースに明け暮れたガキ大将時代だ。

 自分が何をしているかさえ忘れて無中で白球を

 追った時代が昭和の雰囲気とノスタルジーで

 懐かしい。

  あれから60年以上過ぎてしまったが

 あるべき野球がなくて、今回見られた事に

 新たな感動をしてしまった。ありがとう。

 

>  突然 妻から提案があった。

 今日 冷蔵庫と電子レンジを買いに行こうと

 金は私が出すから、車で連れてってと。

 冷蔵庫についてはもう13年経つ。

 水漏れがあるからと。

 夏が来て、故障すると大変だからと。

 電子レンジは息子が独身時代に買ってくれたが

 この前廻る皿を割ったからと。

  Kデンキへ。

 K開店の開発部と一緒に東北各地・盛岡市郊外の

 青山等を回った事を思い出すが、

 実際手がけたのは、八戸店、山形本店、東根店等

 を思い出す。開店前に水漏れになって慌てたり

 開店日に法被を着て、駐車場の整理員に10人

 程会社から応援に出したこと等。

  冷蔵庫記念日は6月21日の夏至の日で100年

 になる。スタッフはよく見ていると、パナソニック

 等の派遣社員で、自分の会社の製品には熱心である。

  それに詳しい。これも買う切っ掛けにはなる。

 幅68cm、高さ1・85cm、両開きに妻が

 決めた。7月6日に家に配送するとの事。

 スタッフと妻が交渉して、リサイクル費など、

 6618円の割り引きにこぎつけつけたようだ。

  これにはだんまりが肝心である。

  電子レンジは手持ちしたが、

 リサイクル代2200円、引き取り代3000円

 との事。又 古いレンジをお店に持ってきたので

 3000円はかからなかった。

 小まめに妻の要求に従う。

  妻が冷蔵庫を予約する様子だったので、

 配送のうち合わせの際に、カードで支払っておいた。

  久しぶりの少し忙しい日であった。

 尚、コロナ給付金10万円はまだ届いていないが。

   

   父の日のじーじへの字と白いシャツ

  

 

> 「月見草」の俳句を作ってみた。

 

   福島の一夜を灯す月見草     学

 

   月見草ほのと原爆資料館

 

   白妙の源氏の君や月見草 

 

   忽こつ・と立つうさぎの耳や月見草

 

   月見草遠き記憶の疼きをり

 

   月見草明日帰るべき息子居り

 

   月山の沢音聞こゆ月見草

 

   有線の谺す日暮れ月見草

 

   月見草大地太古の韻きあり

 

   コロナ禍に独りの暮し月見草

 

   月見草見えざる水にそよぎけり

 

   月見草しばらくは白妙にして 

 

   松島に月白妙の月見草

 

 

> 7月号 楡の会俳句部選句及び講評 赤間  学

  を編集の笹川さんへ送付した。

    尚、仙台一高同窓会東京支部ホームページ

  (笹川さんは事務局で編集長)「

  に 7月上旬に掲載されます。

 

> 天 54 鯛の切身焼きませうか桜桃忌

 

  上句の「鯛の切身焼きませうか」というフレーズで

 ピントくる読者はいないでしょう。

 しかし下句の太宰治の命日、「桜桃忌」「大宰の忌」

 とくると、謎解きの如く思い出される方々もおられる

 でしょう。

  大宰の作品から戦時中の作品「津軽」の一節「鯛事件」

 を思い出す。

 二尺余りの鯛を旅館に持ち込み、姿焼きをお願いしたら、

 夕食に鯛の切身が出てきた事に怒ったとの実話であるが、

 大きすぎて七輪では焼けないし、

 時間がかかるから切り身にしたらしいが。

 そんなオタク情報での句作りもありだが、

 太宰の逸話としての玉川の句もあったが、

 有名では面白みがない。

 切り口のうまさで、たまたまの成功例だろうが、

 いや私個人の趣味からであろうが、

 ついつい取らされた句である。

 句会でもつい取らされる事があるが、

 作者との距離が近くなる瞬間でもある。

 百足さんの新刊書長編「荷風と戦争」の力作から

 「荷風」の題材の句などもどしどし俳句として

 作品化してほしいものである。

 

> 地 16 コロナの夏帰去来の辞は書けぬまま

 

  一読して、この句も類想句がない。

 新鮮な句である。

 さらに時事俳句に陥っていない。

 程よい思いを感じる句である。

 上句の「コロナの夏」とは今現在進行形の

 新型コロナ襲来の夏の言葉である。

 季語として「夏」「コロナの夏」が効いているかは

 別にして。

 切れにより、下句の「帰去来辞」「ききょらいのじ」

 は書けぬまま」に心情を察する機能が働く事になる。

 田園詩人の陶淵明が官職を辞して故郷に帰るときの

 漢詩である「帰去来兮」の(かへりなんいざ)と

 訓読で塩田先生に教えられたような気もするが、

 下句とコロナのどうにもすることができない夏との

 取り合わせが響いている佳作である。

 

> 人 17 厄和(な)ぎて帰りなんいざ夏来る

 

   この句も題が「帰」から「帰りなんいざ」

 を選んだが、下句の季語が「夏来る」が

 明日の希望へも繋がる明るい雰囲気に以て来ている。

 「コロナ」を使うか、「厄」を使うか、

 「疫」を使うか、臨機応変に使用が可能のように

 思うが、そのチョイスが俳句の内容と雰囲気に

 より相応しいか判断する事も重要である。

 

 

> 佳作50 青梅を漬ける季節となりにけり

 

   季語「青梅」をそのまま詠っていていいですね。

 そうだ。青梅を漬ける季節になったのだという

 呟きが俳句の命になっていて、「けり」できっぱり

 とした清潔感があふれる作品に仕上がった。

 

> 佳作18 夜釣りあけ手ぶらで帰る亘理浜

 

  季語は「夜釣り」で三夏ある。夜、川や池などで

 釣をすること。火を焚いたり、

 カンテラをつけたりすれば、おのずと魚が集まって

 くるので、手で捕まえることも可能である。

 涼みもかねた魚釣である。

 亘理浜とは私はイメージしぬくいが、荒浜の事かと、

 尚五音であれば「鳥の海」の吃水湖があり、

 夜釣りには、浜よりは川、池、湖が相応しい雰囲気

 があるように思います。

  尚、何が何でも亘理浜としてもいいのですが、

 俳句は虚実があって発展してきた文芸ですので、

 それはそれで考えてみては。

 「手ぶら」でも「大漁」でも俳句的感興は読者に

 とっては同じなようですね。

 

> 佳作35 昼見えぬ葉脈灯す蛍かな

 

  上句の「昼見えぬ葉脈灯す」のは何かと謎解きの

 如き俳句であるが、

 落としどころが、感動したのが「蛍」としてすばらしい

 句に仕上がりましたね。

 尚 俳句上級者に寄ると「昼見えぬ」が説明的と

 指摘がありそうです。

 読者をどれほど信じられるかは、句会での句友の

 感じ方から学ぶ事ができますね。

 だから、句友のレベルアップが必要になりますね。

 がんばりましょう。

 

> 佳作20 一人また帰らぬ友や初蛍

 

 この句も句姿はいいですね。

 季語は「初蛍」で夏である。

 蛍は夏の夜、水辺で冷たい光を明滅させながら集団

 で飛び交う昆虫。

 夜になるとルシフェリンという発光物質の働きに

 よる冷光を腹部に点滅させる。

 集団での求愛行動である。

 日本には四十種類以上のホタルが確認されているが

 代表的なものは国内で一番大きな源氏蛍とそれより

 小さな平家蛍である。

 独特の匂いがある。

 下句が「初蛍」から、蛍に死のイメージがあり、

 題が「帰」であるので「一人また帰らぬ友」と

 あるがよくわからない。すみません。

 

> 佳作11 花火果て潮の香渡る松林

 

  中学校時代、今の東松島市の菖蒲田浜の林間学校

 で石巻の花火を見た思い出がある。

 興奮して友達と見た後、潮の香渡る松林を星を

 みながら、将来の希望を話した記憶が蘇った。

 懐かしい思いの句である。

 

> 佳作52 衣替えおしゃべり弾む登校路

 

  季語は「衣替」で初夏、 俳句的には「更衣」

 (ころもがへ)の表記が多いようだが、

 先生などの学校関係者はよく見ておられる光景で

 あろうが、自分にとっても懐かしい風景である。

 参考までに

  通学の自転車の列更衣

  俳句では動詞より名詞で作る方が普通です。

 俳句は室町時代の連歌師の時代の漢詩の影響が

 あり、歌仙の発句を俳句として歴史がある

 からだろう。

  だから説明的にならない潔さが俳句の

 魅力なのです。

 そこから読者に詠みの自由ももたらします。

 最後は俳句は読者の解釈をとともに、

 作者の手から離れて一人立ちします。

 

> 佳作10 花火失せ月光輝く北の浜 

 

   季語候補は 「花火」と「月光」であり、

 季語は活かすには季語は主従関係をもたねば、

 曖昧になりやすくなる。

  この句では従「花火」で、主「月光」の関係

 になっている。

 花火は夏、月光は秋という具合に季も違う。

 つまり秋の句になる。

 それは時間経過で句作りしていると陥りやすい

 傾向になる。

 俳句は一時のある瞬間を切り取った画像であること

 が最善である。

 参考までに

  月光や音の失せたる北の浜 

 

 

> あとがき          赤間 学

 

 コロナ禍の新時代へ一歩一歩ずつ歩み始めたようだ。

 いろいろな生き方、働き方、

 学び方等提言がなされている。

 その中でテレワークの流れは止まらないように思う。

 その流れからこの句会もウエブで行おうという

 考え方もあるようだ。

 パソコンにカメラも内蔵されているから、

 簡単な設定で可能ですね。

 ウエブでの句会はいいですね。

 少しプライバシーが侵害されますが。

 考えてみましょうか。

 ただこの方式がいやで会員が減るのもいやだしね。

  ただし俳句は自分で静かに毎日毎日作り続ける事

 が肝心だと思います。

 コロナ禍、命の格差、人種差別、経済差別、

 怒りや暴動、絶望、社会の分断等、

 世界が何処に向かおうとも。

  俳句的な生活をそれなりに納得できると

 いいと思います。

 俳句的生活が暮らしのリズムになるといいですね。

 季節を感じながら、命の営みを感じながら、

 生活する事。

 それが俳句的生活かとも思うこの頃です。

 

> 推奨の暗唱句

 

 あるときは一木に凝り夏の雲     原  裕

 

 頭の上に夏の本流うごく夜明け    佃 悦夫

 

 庭草に梅雨入りし後の日数見ゆ    石塚友二

 

 梅雨の海また夕ぐれを重ねけり    間立素秋

 

 梅雨の夕日まぶた伏したる青蛙    五十嵐春草

 

 田を植ゑる親子に雨の一巨石     新村写空

 

 八ケ岳雨吹きおとす田草取      相馬遷子

 

 麦を刈りし鎌よみがえる夕日の丘   大井雅人

 

 七月の囀り近きほど穢れ       福田甲子雄

 

 夕刊を見て息災の暑さかな      丘村清風

 

 五重塔暗き各階驟雨の中       波多野 清

 

 象眠る喜雨のしぶきにつつまれて   有賀史郎

 

 頬白は陰を好まず夏の山       梶井枯骨

 

 わつと夏野がありて大仏殿ありぬ   針 呆介

 

 大降りのあと雲群るる夏木立     矢野芳湖

 

 樹といれば少女ざわざわ繁茂せり   金子兜太

 

 

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