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{2019.3.11  まる八年が過ぎたね

>朝方から暴風雨である。

 仙台市は昨日と今日の気温差が10度(下)

  と予想されている。

>暴風雨低気圧(最大風速35m)は6時ごろが

 伊豆半島らしいので、福島浜通り ・いわき市が

 11時頃、F1が12時頃通過かかな。

 今日は南相馬市(原町区)に居るが、11時少し

 雨風が強く・冷えてきたようだ。

>5時30分の勤務終了時はここを抜けて

 釜石沖ぐらいでしょうか。

 高規格化常磐道は50km制限かな。

>暴風雨が通過してまもなく午後2時46分が近づいてくる。

>仙台市で被災したあの時は、地震後泉崎1丁目の

 一時避難所に集合し、ビニールシートを

 引き終えたとき、みぞれが降り始めた。

 宮城県沖地震対策(地震が38年周期で来襲する)

 で手巻きラジオが配布されていたが、それから

 津波が来襲してその高さが3mと放送されていた。

 10分もしない間にそれが、6mになり、30分後には

 9mと聞いた記憶がある。

>(尚 2日前に夕方に7弱の宮城県沖地震があり、

  テレビ等放送ではの理学部地球物理学の教授が

 その38年周期の地震が来たので、今後余震が

 あるが、今日よりは大きな地震はこないと発言して

 いた。この教授はこの見解のミスを認め、丁寧に陳謝

 していたことも思い出されるが。)

 

> この津波高さ・50年程前のチリ地震の志津川湾を

 襲った津波の記憶が甦ったが。

 まさかと信じられなかった。

> それよりも、町内会の事・自分の事でいっぱいであった。

 みぞれが降ってきたので、本避難所

 冨沢中学校(明日卒業式)の体育館へ避難誘導

 班と町内会への周知班、再度の安否確認予定者の

 移動班等に分かれて、私はハンドマイクでの周知

 者として2回ほど巡回した後、体育館へ。

 午後5時頃であったが、もう500人程と、

 校庭は車100台程に占領されていた。

>やはり 霙がいつのまにか止み、夜回り中の

 満天の星空がやはり忘れられない。

>そして 朝に知る海岸つたいの悲惨さを。

  ちなみに被災者向け 冨沢中学校への一番新聞

 は読売新聞、次ぎの日に河北新報社、

 夕方に朝日新聞が配布された。

>それから1年後には、ボランティア活動が目に

 見えてきた。多賀城の国交省にいたので、

 特に目にしたのは、七ヶ浜町・しょうぶた海岸前駐車場

 に東京方面からの若い人達が夜行バス2台程が

 毎日のようにきていたことに感謝の念でたまらなかった。

  後で聞いたが、活動後風呂にもはいらずだったと

 ききますます感動した。

>現在防災教育が叫ばれ、多賀城高校に防災科

 があるらしい。

 校内」でしか役にたたないとか、の負のイメージも

 あるが、防災教育はアンケートをとると

 64%が防災教育肯定派でパニックにならなかった。

 落ち着いて行動できたなどがあるが。

 若者への防災教育の充実が必要でしょう。

 更に現在ボランテア活動経験者が9%弱しか

 居ないようだが、この受け皿と充実が求められる。

>尚 最後に今日福島民報に忘れられた震災の記事があった。

 「藤沼湖」の悲劇と、(須賀川市の農業ダムの決壊)

 である。内陸部でも被害があたのである。

  これには弘前大学等含め土木科・農業土木科、地域環境科

  地滑り研究協会等がその検証をしている。

>その時の俳句

  決壊の溜池ぬらす蛍かな         学

 

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