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8月9日、長崎忌、-永井博士を思う。

8月9日、長崎忌、-永井博士を思う。

9日午前1時からNHKスペシャルが放映された。

日本陸軍は広島への、長崎への原爆投下を知っていた。

アメリカが原爆開発に成功したことを知ったのは18年
春、東條陸軍相である。
日本も福島県石川町でウランを掘って、準備していたが、
原爆開発を託された理化学研究所は原爆開発は不可能
として、だからアメリカも開発をなし得ないと断言していた。

本土空襲が多くなると、参謀本部は、特殊情報部を編成し
B29のモールス信号のコールサインから発着基地を
推定していた。
V400台はサイパン、V500台はグアム、V700台はテニアン
1945年になると、コールサインにV600台がたまに紛れてきた。
6日午前7時に豊後水道をゆくB29から、宇部、広島、西宮市
への空襲が想定されていた。
特殊情報部から参謀本部に伝えられたが、各市へは連絡を
せず空襲警報は発せされなかった。
偶然、爆心地から700mの地下壕にいた女学生は原爆投下
でも、現在まで元気に生きている。

さらに、8日には参謀本部は、特殊情報部のB29のデーターを
表彰しながら、情報の漏洩のないように指示された。
B29エノラゲイのモール信号がワシントン向けであったこと、
我らは目標に向かっているとの強い意志のだしんであった事、
さらにアメリカが原爆開発に成功したという情報を知りえていた
陸軍は、この爆弾を原子爆弾と確信していたが、発表は
しなかった。
(今回の福島第一原発事故のメルトダウンの発表は2ヵ月後
であり、それも地震から5時間後にはメルトダウンが始まり、
放射能の拡散が始まっていたという情報の隠蔽。)
9日、長崎の悲劇は、B29ボックッスカーが原爆と搭載しながら
午前5時に北部九州方面を空襲するだろうと特殊情報部が
参謀本部へ報告していたが、各地へは報告されず、空襲警報
は発せられなかった。
原爆投下の本人がインタビューで答えている話では、最初は
博多への投下予定であったが、雲が厚くて、島原半島を旋回し
待機していたところ、急に晴れ間が見えた長崎へ原爆投下する
ことにしたということである。

 広島も、長崎も原爆投下は想定されていた。
爆心地近くでも地下壕で助かり、60年以上も生きておられる方
がいるという事実から、空襲警報がだされていればと思わざる
をえない。
 さらに、参謀本部の情報の隠蔽と統制が、広島、長崎の悲劇を
拡大したと言える。
そして、大震災後、福島第一原発事故、メルトダウン、スルーの
隠蔽、放射能漏れ、その拡散等一連の情報隠しは、広島、長崎
と同じである。
 又、その国の対応に対して、権威づけをした学者、自治体等
に対して、今後、検証されるべきことである。

人間の知恵がつくりだしたものを挙げてごらん。
と父親が言う。
息子が答える。
「トラクター、チューインガム、バター・・・まだまだ知ってるよ。
いちばん大きいのが、原子力」
そうだ。
と父は教える。
石油が乏しくなり、石炭が底も見えてきたが、
原子はふんだんにある。

「原子の内に、神は天地創造以来
 こんなすばらしい力を隠していたのだ。」と。

あれ、
少し違和感が残るが、

本の名は「この子を残して」。
父の名は、「永井隆」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E9%9A%86_(%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E5%8D%9A%E5%A3%AB)
長崎の原爆で妻を失い、自身も被爆し、二人の子どもを残して
逝った「長崎の鐘」の永井博士である。

今日は長崎原爆忌の九日。
金子兜太氏の長崎での句:
   ☆ 湾曲し火傷し爆心地のマラソン
http://blog.goo.ne.jp/takemaru_may/e/b5eaf99f898d29b4453cfc17cd41f986

永井博士は60年以上も前に、未来に希望を託した息子に
語った。
「(神は原子の力を)探しだし、取り出し、
 利用する知恵も人類に与えてあったのだ。」と。

3・11福島第一原発事故の見舞われた現在、
 この言葉は何も力はもたない。

しかし、事故原因が、想定外という津波の波高、
想定外だったという電源喪失、
これらの想定外というのは、あまりにも想像力に
かける知恵のなさである。

最後に永井博士は、人間が原爆に対して、その知恵が
足りないことを嘆いていた。
被爆しながらも。
原爆を原発に当てはめれば、あまりにも当てはまることが
悲しい。

参考
原発:全電源喪失は「考慮は不要」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110714k0000m040098000c.html
原子力安全委員会、18年前

津波:「あかままなぶの部屋」 869年貞観地震ー西へ電源移動。
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=68323673&blog_id=275815

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