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東日本大震災から一ケ月経ち感動した事ー避難所富沢中学校

4月10日

東日本大震災から一ヶ月経ち感動した事-避難所富沢中学校

仙台市太白区泉崎地区に住んでいますが、避難所になった富沢
中学校の校長先生のリーダーシップと教員が奔走してる姿に
感動しました。
 3月11日午後2時46分、地震発生ですべてが非日常生活に
突入してしまった。
 富沢中学校では卒業式の準備中であった。
明日の為に、体育館は式の紅白の幕が張られ、椅子が設置され
終ったばかりであった。

 私たちが町内会の一時避難所の泉崎一丁目公園に集まり、
公園内の防災倉庫からブルーシートを出し、それを敷きながら、
毛布を避難してきた高齢者に配りながらどのようにするか判断に
迷っていた。その内に、防災訓練にように、高齢者の安否確認を
しようと、4チームほどですぐ確認に走った。
 だんだん人々が集まってきたが、ディサービスに来られていた
高齢の介護されている人々が車椅子で20人ほど纏まって、
毛布に包まって静かにしておられた。
又、ベビィーホームから大きなワゴン車にのって、頭を覆う帽子を
被って20人ほど纏まって、お母さんを待っていた。
ラジオから大音量で大津波の情報が入ってくる。
雪が降ってきた。

 町内会の役員が富沢中学校に避難してよいか、確認にいくと
体育館の椅子が片付け途中であり、もう避難所の準備にかか
っていた。
そして、校長先生の指示で、体育館の隣接地の武道館は、畳の
敷かれていない場所は体操用マットやブルーシートが敷かれつつ
あった。
そしてストーブの数の配分もされて、武道館にはストーブが点
けられ、灯油の缶が整理されて置かれていた。
全部で10L缶10個であった。少ない。どうしたらと。
 そして、避難者を高齢者と赤ちゃん家族、障害者は武道館へ
と体育館へと仕分けて、誘導するシステムを早くも指示され
ていた。
 後に武道館300人ほど、体育館1000人がいっぱいになった、
午後9時以降は学校内の小ホール200人を避難させる流れを
つくった。若い人達は午後12時を過ぎてもやってきた。

 校長室を対策本部として、先生方の班長と町内会役員と自主
メンバーを交えて午後6時、午後7時、午後8時、午後9時
と顔合わせの会議と意見交換と的確な決定事項を指示をして、
午後12時以降の見回り体制を確立して分かれた。

 避難している人々には町内会が、仕切っているように見せ
ながら、そこには必ず一人の先生が付きくようにして統制を
していた。
又、町内会の役員も校長先生の積極的な対応と話を聞いて
くれる姿に、ついつい問題を提起したくなる癖のある人々ま
でも、場を乱しぬくいように仕切られていたように思えた。

11日深夜から水洗トイレの水をプールからバケットに汲み
ながら、女の先生二人が夜通しされていた。
 又、理科系の先生が、発電機からの電気で明かりを得る
ために、夜通し電球盤を製作してトイレに点けようとして
いた。
私が見えたのはこれだけだが、朝のアルファー米の炊き
出しに対して、町内会女性部約30人が集まったが、
その前の、ガスボンベの手配から、ビニールシーとの準備
と握るときのラップの準備など見えない部分でさりげない
準備をされて、うまいリードオフウーマンぶりを発揮して
いた。
おなご先生は、小回り君のように自分から動き回って、どん
どんこなしてゆくし、おとこ先生は、生徒をうまく使いながら
どんどん避難所学校の体制を整えていった。
 きっと避難所の仕事をしながら、生徒の安否確認や公立
高校の発表前で揺れる生徒の心配もしていたのであろう。
校長先生の特質すべきは、避難所である提案の話を聞き
ついて、すぐ校長室につれていき、大きな紙やマジックペン
ガムテープなどをあたえて、ライフラインやDS、お店開店、
復旧道路、お得情報などの口コミ情報を書かせて、
体育館に前に張り、若い人の携帯情報の迅速さを使い
ながら、情報の錯綜と、不安を軽減した。
 そして友達同士の携帯のやり取りから、ライフライン情報
が、口コミとなり、通水、通電情報が1時間後には口コミ
掲示板に書かれ、それを見た体育館に避難していた人々が
当日1500人いたが、2日目には900人、3日目に800人
4日目には避難所の体育館閉鎖、武道館に約150人の
避難者に激減した。
 一方、避難所に派遣されていた市職員生活環境課の女性
と連絡しながら、武道館に避難していた102歳の女性が
体調を崩されたことを知った校長先生は、ガソリンも無い時
に、救急車が来れないからと、自ら運転して長町病院に
搬送された。災害のときは自分の判断でどんどんやって
くれるリーダーでほしいが、まさに実践されていた。

これが富沢中学校避難所の地震初動時の実態である
が、学校の役割、とりわけ校長先生と先生同士のチーム
プレーに感動した。
 従前から富沢中学校と町内会は中学生の防災訓練を
通じて、年3回ほど、いろいろと意見の交換や課題を話し
合ってきた。
 現実はその話し合いは机上の空論であったように思う。
それは校長先生が遠慮しているようにみせながら、
町内会の力を引き出す為にご尽力していたのかもしれま
せんが、本当はことが起これば、このようにするという
プランがあったものと思われる。

一方、宮城県や自治体は、災害時、地域住民らが避難所
運営を行えるようにと、町内会を中心に地域の自主防災
組織などに力を入れてきたと感じている。
 仙台市も入学式が行われようとしているが、学校が
避難所で開校できない場合、被災で学校が使用できない
など、課題が多い。
 宮城県小林伸一教育長は、「教員が通常業務を超えて
 献身的に尽力していることに敬意を表したい。今後
 学校避難所の運営のあり方を市町村と見つめ直し
 災害時の学校の対応力の強化につなげていきたい」と
 しているが、この富沢中学校の校長先生と先生たちの
 チームワークも一つの例として参考にしてもらいたい
 もんだ。

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