« 東電発表、国でないのー福島原発事故の作業計画の工程表 | トップページ | 居眠りー登校の列に6人死亡 »

石巻市津波被害ー雄勝病院9割、大川小7割死亡・不明

4月17日

石巻市津波被害ー雄勝病院9割、大川小7割死亡・不明

東日本大震災で、石巻市立雄勝病院に入院していた患者40人
全員死亡・行方不明、医師、看護師24人全員死亡・行方不明
生存者は、70人中、わずか6人、裏山の高台へ逃げた事務員
だけだ。

病院は3階建てで高さは15m、雄勝湾を臨み、道路を挟んだ
低地に建っていた。
被災時の状況は、仕事で外出していたために難を逃れた佐藤文明
事務長(56)が生存者に聞き取るなかでわかった。
 通院患者はいず、40人の入院患者が全員、病室のある3階にいた。
大半は寝たっきりの高齢者で、自力でベットから動けなかったという。
看護師に付き添われて屋上へ逃げた患者も、医師も、何度も押し
寄せて、そのたびごとに高くなる波に、屋上にいた全員が飲み込
まれた。
 現在も、再開のめどがたたず、病院の敷地には、打ち上げられた
漁船や家屋の瓦礫が散乱したままだ。
 この雄勝町は硯の産地である。そのために、町で硯伝承館を
建てたが、それも無残に壊れて、鉄骨だけの姿をテレビで見た。
昭和60年の建造物であるが、勤めていた会社が建てたので
新たに増設したいとのことで、何度か企画書を持って雄勝町に
通ったことが思い出される。
 一方、新東京駅の屋根瓦にスレート板の雄勝石が使われること
になっていたが、津波に流された。従業員が6万枚のうち4.5万枚
が使われそうだと拾い集めたという。ぜひ皹がはいっていないことを
祈る。そして、新東京駅の屋根に使ってほしいものだ。

 石巻市大川小学校児童108人中、無事が確認されているのは
31人だ。教員は12人中、年休中で不在の柏葉照幸校長(57)と
学校にして唯一助かった1人の男性教諭だけだ。
 なぜ、こんなにも先生の被害が多いのか。
11人中、1人の生還者しかいない。この生還者の先生の話で
実態がわかってきた。
市教委は「学校では津波の際に、どこに避難するかは決めてい
なかった。」と話している。
助かった31人のうち、28人が地震後、学校に親が迎えにきた児童
だった。
 つまり、津波に巻きこまれ助かったのは、児童が80人中3人、
先生11人中1人であり、助かった4人は、裏山へ上って助かった。

聞き取りから、大川小学校は、海抜ゼロメートル地帯に立っており、
コンクリート造り2階建てで、石巻湾に流れる北上川を、洪水対策
から、新たに太平洋岸の追波湾に北上川を誘導した人造の北上川
のそばの小学校である。北上川沿いの萱の生産が盛んであり、
晩秋の萱焼きは情緒のある場所である。
 地震時は5時限を終えたばかりで、大きな揺れに、机に隠れ、
その後、校庭にでて点呼をおこなっていた。
何人かは車で児童を迎えにきた。
 この一段落がついたので、先生の誘導で先生が避難先と考えて
いた場所に向かい、新北上橋を超えて、避難場所の高台へ行こう
としたとき、新北上橋を越えて津波が、避難中の児童に押し寄せて
きた。助かった教諭はこの列の後にいたので、「上へ、裏山へ」
と叫び続けながら、波にぬれながらも必死に逃げて助かった。
後に、波にぬれた3人の児童と再会し、焚き火をしながら一夜を
過ごして、救助隊に発見された。
 石巻市教委は「想定外の津波がきたのと、山崩れの危険から
農道を行く以外に道はなかったのでは」といっている。
 津波の避難訓練、避難場所、避難ルートを確かめることの
重要さ、津波は「てんでんこ」-勝手に逃げろという、緊急対策が
生きるか死ぬかの分かれ目になることは確かだ。

石巻市では、「今は避難者の住環境を守ることが最優先」と述べ、
市内の小中学校の一斉始業を断念するとした。
 市内では小中学校への避難者が5000人いる。5月の連休明け
をめどに開校する予定のところもある。
大川小学校は4月21日から、飯野川第一小学校で再開予定である。

仙台市太白区字泉崎地区の富沢中学校の校庭は、部活の声で

元気がこだましている。

先週の金曜日が入学式であったようだが。

仙台市地下鉄南北線最終駅の富沢駅の脇を笊川が流れているが、

幅2mほどの小川とその水面より1mほど高く左右に小段の

コンクリート面、そこから斜めに堤防が10mほど高くなり、

舗装された堤防天端の脇には、今を盛りにさくらが咲いている。

500m程の並木になっている。

日の光を浴びて、就学前の児童とお母さんが、シートを引きながら

お花見をしている。

にぎやかに遊びほうけている子供たちの姿がたくさん見える。

のんびりしたいつもの春があった。

|

« 東電発表、国でないのー福島原発事故の作業計画の工程表 | トップページ | 居眠りー登校の列に6人死亡 »

コメント

昨日、たまたま仕事でこの町に伺い、通りかかったら、被災した院内に献花台が見えたので仲間と共に線香と黙祷を捧げさせて頂きました。
その惨状の時と現場のあまりの静けさのかけ離れ方が何か虚しくもあり、行政や国のこうした地域に許可をして来た、自己中心的な利権政に腹が立ってきました。
小学校も観てまいりました。
多くの子供達の事を考えると、あまりにも無念でなりませんね。
先人たちは、この地には住まなかったのだろうと思うと同時に景色だけを邪魔している、2mほどの防波堤でどれほどの人間が得をしていたのだろうか?

今だに手を入れていない場所はそうとつなものだった。

自然を受け入れて、恩恵に預かりつつ、注意深く生きてゆくために。
全世界への警鐘を真っ先に理解できるかもしれない民族、日本にもたらしたのか?
大いなる力が働いたのかもしれない・・・。

投稿: 渡辺 | 2011年6月23日 (木) 01時43分

JR深名線路線バス乗務員死亡

投稿: 永江聡 | 2013年3月18日 (月) 22時18分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/504062/51425159

この記事へのトラックバック一覧です: 石巻市津波被害ー雄勝病院9割、大川小7割死亡・不明:

« 東電発表、国でないのー福島原発事故の作業計画の工程表 | トップページ | 居眠りー登校の列に6人死亡 »