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15.5m防潮堤・水門 岩手県普代村を救う

15.5m防潮堤・水門 岩手県普代村を救う 4月5日

津波で破滅的な被害を受けた三陸沿岸で、岩手県北部普代村
では、住民に死者は出ていない。
 普代村は大田名部漁港地区と普代地区と2地区で人口3000人
岩手県北部の漁業の町である。特産物として、昆布、ワカメの養殖
が盛んな町である。義経北方伝説の鵜鳥神社がある。

さらに念仏供養塔、オシラ様、イタコ、座敷ワラシなど民間信仰が

生きずき、百姓一揆を物語る石碑もある伝承の村でもある。

 大田名部地区は1867年県施行、大田名部防潮堤 高さ
H=15.5m、全長L=155mで、普代地区は1984年県施行
、普代水門 高さH=15.5m、全長L=205mで津波を撥ね
返した。
 東日本大地震で岩手県を始め太平洋沿岸北部の数多くの津波対策
や高潮対策の防波堤や防潮堤が崩壊する中、唯一100%安全に機能
した防潮堤と水門である。
 それには、秘密があった。当時の和村幸徳村長の決断だ。政治家
としての決断だ。「2度あることは3度あってはならない」と。
1896年明治三陸地震で普代村内は1000人以上が死亡した。
1933年昭和三陸地震で約600人が死亡したことが村長の頭を

離れなかったからだ。
津波防災への熱き決意だ。
しかし、普代村民の漁港も漁船も破滅的にやられた。
この美談の裏に厳しい現実の生活苦を思い出して下さい。
被災地にさらなる義援・支援をお願いします。

「港みなと」というと、管理者により、大きく二つに分かれる。
国交省(内の旧運輸省の港湾部)と農林水産省(内の漁港部)との
管理者がおり、岸壁の設計高さは国交省はH=2.5mで農水省は
H=1.5~2.0mと規格値も違う。用途に合わせてその基準も違う
ということであろうが。だから予算が違う省庁で隣り合う岸壁で段差が
あることがよくある。
 岩手県内では国交省の「みなと」の施設(港湾施設)は4重要港湾で
津波対策防波堤を持つ港は 久慈港、久慈湾口防波堤(施工中)、
釜石港、釜石湾口防波堤、大船渡港、大船渡湾口防波堤、3つであり
、残りは宮古港であり、港湾施設として八木港、小本港6港がある。
一方、農業水産省予算配分で市町村管理の第1種漁港80港、
県管理で第2~4種漁港31港があり、計111港がある。
岩手県ホームページ 漁港漁村課
http://www
.pref.iwate.jp/info.rbz?nd=593&ik=3&pnp=17&pnp=64&pnp=593
岩手県漁港・漁場・漁村の概要から魚港写真集へ。
実に美しい漁港が写っているが、今は見る影もない。

視点を変えると、普代和村村長の政治家としての決断だとしたが、
それを支えた、その陳情をうけて、国が予算付けするように地元に

利益誘導をした人物がいた筈である。

 この漁港振興を図ったのは、1947年社会党から衆議院議員に
なり、後自民党に移り、当選16回、第70回内閣総理大臣になった
(1970年7月17日~1972年11月23日)鈴木善幸氏である。
出身地は岩手県山田町、引退後は1990年から息子、鈴木俊一
氏が地盤を引き継いだ。又、麻生太郎元総理大臣のもとに実姉が

嫁いでいる。
一方、岩手県第二区として中選挙区時代の自民党の盟友、
岩手県最北部洋野町(旧種市町)出身地の県議から衆議院議員に
転出した工藤賢太郎氏とは後、選挙で一騎打ちで争うことになる。
細川総理時代の中選挙区時代、岩手県第一区の小沢一郎氏と
第二区の工藤堅太郎氏は同志となり、新生党から現在まで常に
同じ道を歩むことになる。

又、工藤堅太郎氏は全国的には植林の振興、国産材使用振興

、地球環境対策の振興を掲げ、唯一残った林業族でもある。

とにかく財政的に厳しい県は、政治家の政治力が絶大である。

  現在、岩手県の漁港振興は、長崎県に次ぎ、2番目であるが 
特に昭和30年代後半からは漁業振興に尽力したのは鈴木善幸氏
(現東京海洋大学出)であった。又、1990年代からは息子の
鈴木俊一氏(党漁業・漁港会長)が推進した。さらに小沢一郎氏
と共に工藤堅太郎氏も漁村漁港振興に邁進した。毎年、県の
漁港視察を各人別々(鈴木氏と小沢氏工藤氏連合)に、系列市町
村長を従えて陳情合戦を行いながら振興にあたった。
その政治状況から、普代村長の決断が生まれたとも言える。
しかし、後に工藤堅太郎氏は参議院に転出したが、前回の選挙の
全国比例区で惜しくも落選、鈴木俊一氏も衆議院選挙で落選した。
 現在、自民党谷垣総理のインタビューの時、後ろで「善幸さん」
がいると高齢者の方は間違ってしまうであろう。
 ふるさと山田町の災難に歯がゆくてしかたがなく、残念であろう・

 さて、中選挙区で見ると小沢一郎氏(民)の第一区は陸前高田市、
大船渡市、を含んでいた。
又、工藤堅太郎氏(民)、鈴木俊一氏(自)、の第二区は
釜石市、大槌町、山田町、宮古市(田老町含む)、田野畑村、普代村、
野田村、久慈市、洋野町(種市町)を含んでいた。
1997年からの小選挙区では海岸部は第2区は衆議員議員は
鈴木俊一氏(自)から、現在 畑浩治(民)になった。
第3区は釜石市、大槌町を含み、衆議員議員は黄川田徹氏(民)だ。
この中で、今回の津波で国会議員が被害を受けたのは、黄川田徹氏
であり、ご両親、妻、息子、秘書を失った。又、元宮古市長の衆議院
比例、東北選出の菊池長右エ門氏である。宮古港の道路を襲う波が
YouTobuで写りだされているが、菊池氏はその道路のGSを経営し
末広町の自宅も失った。

尚、岩手県は小沢王国といわれ、4名の衆議院議員全員と知事、

2名の参議院議員全員も民主党公認者である。

久慈市長    山内隆文(58) 自民党  2010年 3月14日選挙

宮古市長    山本正徳(54) 自民党  2009年 6月25日選挙

釜石市長    野田武則(56) 民主党  2007年11月11日選挙

大船渡市長  戸田公明(61) 自民党   2010年11月25日選挙 

陸前高田市長 戸羽 太(46) 自民党   2011年 2月 6日選挙

釜石市長以外は自民党である。沿岸部はいまだ自民党の地盤である。

つまり地元利益誘導型政治が生まれる土壌がこの普代村の政治決断

にもあったことを心にとどめておきたい。

因みに、小沢一郎元公設第一秘書大久保隆規(49)は1999年の

釜石市長選に元釜石市議、自民党推薦として出馬し、小野信一(社)

の元衆議院議員と戦い、落選している。そして5年後、どのような

経緯で小沢一郎の公設秘書まで上りつめたか、私設秘書を20人程

抱える中での異例の抜擢であったことをつけ加えておこう。

 

●岩手県の防潮堤は河川港湾課が担当部署。
  防潮堤の高さについて、三陸高潮事業として標準設計高さは
  H=8mとしていた。

  今回の津波による防潮堤の被害について現在の状況は、
 北部より種市町の防潮堤、久慈港の防潮堤を津波は越えたが、崩壊
 には至らず、波の減圧を果たし、町への津波の到達時間を遅らした。

 野田防潮堤は現在嵩上げなど整備中であったが、全長L=720mを
 簡単に超えて町部への被害は甚大であった。
 普代村は完璧であった。
 田野畑村の羅賀漁港や鳥越漁港の防潮堤は崩壊しなかったが、70

人程の行方不明者がでている。

海の見える北三陸リアス線鉄道の鳥越駅とその高架線

(H=10m以上)が吹っ飛んだ。目を覆う。考えられない。
明治三陸地震では2000人以上の死者がでたということであるので、
今回は高台へ町を移転してしたこともあり効果があったと思われる。

宮古市田老町の巨大な防潮堤(H=10m)万里の長城などといわれ
たが崩壊は無かったが、その背後の町は瓦礫の町に。
そして1960年のチリ地震も被害がなかったことからか、過信からか、
退避が遅く、多くの死者・行方不明者がいた。

又、宮古市の小堀内漁港は防潮堤はあっても、津波到達高さが
H=37.9mまで上がり、明治三陸津波の最高高さH=38.2mと
ほぼ同じであった。

今後津波の調査が進むに従い、もっと高い津波到達点が観測され

るであろう。田野畑村では以前の津波で海面から50m以上に

約10トンの大石が陸に乗り上げているのを見ることができる。

宮古市の防潮堤は三陸高潮事業としてのもので、その高さも

H=3~6mクラスと低く、又、防波堤はあっても、津波用でない

ので、波圧は強く、防波堤を軽く越えて、第一波の津波が市内へ

到達する時間が早く、10分程と高台にある県立宮古病院の医者

が確認している。

山田町の防潮堤は海から直ぐである道路にあり、全長L=570m、
織笠川水門L=68.1mとともに守っっていたが、防潮堤は完全に

崩壊し三陸リアス腺の鉄道の軌道も吹き飛ばした。

大槌町の吉里吉里地区は津波が防潮堤をオーバーしたが、

住宅地の場所と波の方向性とが少しずれて幾分被害は軽減された。

又、津波対策の会議中に大震災に見舞われ、避難誘導中に町長も

亡くなられたが、町の中心部の被害は壊滅的だ。

高潮対策事業の小槌川水門H=12mが完成していたので、

町への津波の到達時間を遅らしたが如何せん、隣の大槌川堤防を

津波が乗り越え、安渡地区など低地の場所は全滅であり、

逃げながら避難場所として目掛けた高台のバイパス道路までは

余りにも遠く(300m程だが)、到達できずに波にもっていかれた

人が多かった。

釜石市は世界一の釜石湾口防波堤が2009年に完成していた。
海底63mに、海面上高さH=6m、ハの字型に総全長L=1600m
防波堤である。前面はテトラなどの消波ブロックとケーソン式の混成
ケーソン提と違い、ケーソン提であるが、消波用として、海面上は
ハニー形式(前面穴開き型)で波を減殺する形式にしてある。
 釜石湾口防波堤は湾内の平静と津波に対する防災効果を高める

ことを目的としている。

津波高さは明治三陸地震M=8.5のH=6mを想定した設計として

いる。
 国土交通省の港湾局,港湾空港技術研究所、高橋氏によると

釜石湾口防波堤の影響として、大津波の高さはH=13.7mから

8mに下げた。

又、陸での最高到達点の高さをH=20.2mから10mに減殺した。

さらに津波が防波堤を越えて市街地に流れ込む時間を6分遅ら

せたと解析している。

 この事実は大きい。造っても何の役にもならなかったという風評は

当たらない。その結果として、久慈市、釜石市、大船渡市は人口

割合では他の市町村と比較して死者数は少ない。又、防災教育の

浸透と津波への備えの気持ち「津波てんでんこ」が必要だった。

 津波被災後、釜石湾口防波堤は4分の3は原型をとどめていない。

半分は土台の捨石面から本体ケーソン(コンクリートの塊)が

落下している。土台の捨石面は海底から約33mであり、

防波堤本体のケーソンは、その捨石面から30~36mの建物で

あるので、このケーソン本体部が海底に転がっているということである。

歯抜け状態だが、海底に転がっているケーソンの修繕に数百億円が

かかりそうだ。

総事業費は1200臆円であった。

 尚、理論的には、5m高く防波堤を作れば、大津波は防げた可能性

はある。

その際に工事費は1.5倍以上の予算がかかるという試算がある。
再整備に数百億円かかるが、どこまで整備するかは社会的合意が

必要だ。
 一方、釜石市両石地区も津波が防潮堤も越えて背後の町を襲った。
大船渡市は太平洋岸の綾里湾沿いの防潮堤があるが、軽く越えて

津波到達高さはH=23m以上が確認されている。
陸前高田市の広田湾は戦後、湾の埋立計画がなされ、1990年代

まで反対運動が盛んであった土地柄である。

旧6村が集まってできた市で部落ごとに特徴のある市であった。
 防潮堤は市庁舎がある松林のきれいな海岸の背後に

L=約550mあったが、根こそぎに防潮堤は転倒している。
これは設計上防潮堤の背後のコンクリート叩きの部分が狭いからで、

津波の場合は防潮堤を越波するわけであるから、ダムの設計の本体

越波を想定した副ダムなどの洗掘防止対策を施さなければならない

ことになる。

そして4月2日(土)に菅総理は《陸前高田市》に被災地用

ヘリコプターで入り、避難所を回ったのだが、裏では被災地選定

など、いろいろな政治的かけ引きもされているのが政治だ。

この破滅的被害の元では、無意味であるのに。

宮城県は素通りして、福島県Jビレッジへ向かった。

 そして宮城県唐桑半島、気仙沼市へと津波被害は続くが、

 まだ正確な情報が入らないので後とします。

 仙台市若林区、名取市、多賀城市の破滅的被害状況を

 現場で実際この目で見たものは、被災地に入れず、

 一部は東部高速道路上から見たのであるが、

 本当は書いてはいけないのかもしれない。

又、防潮堤の設計に関して、福島県相馬市の防潮堤とその前面の

砂浜の離岸提の設計において、津波のような長い時間波が壁のよう

に続く場合は離岸提と離岸提の間に津波が集中して勢いを増して、

その波が防潮堤を崩壊しることが起きた。

津波では逆効果であったようだ。

●岩手県地震・津波シミュレーション及び波高想定調査に関する報告書
http://www.pref.iwate.jp/~hp010801/tsunami/yosokuzu/houkokusyo.pdf
 岩手県  平成16年11月
 首藤伸夫 岩手県立大学教授
 2033年までに、宮城県沖地震が発生する確率は99%。
 さらに明治三陸津波級の地震が発生する確率も約20%と評価して
 今まで講じてきた対策の想定を超えて地震が発生する可能性があると。
 ★宮城県沖連動型の地震が発生した場合を想定している。
  今回の東日本大地震の連動型を想定していたことに感銘を得た。

 宮城県の防災計画で、宮城県沖地震の発生確立は2033年まで

 99%というセンセィショナルなことは一部報道されいたが、浸透は

 されていなかった。

 宮城県の地震保険加入世帯は32%であった。

 生命保険加入者は約90%である。

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コメント

TVで普代村の防潮堤のお話を知りました。 三陸海岸地震時には必ず津波の危険が有ると、中学生の頃から学習してきました。今回の地震、津波は
その学習したとうりの現象が目の前で
おき、そして多くの人達が亡くなりました。悔しく、残念です。ご当地の元和村幸得村長の残された事業は現在
村民の一人もその犠牲を出すことなく現在に存在する事の大切なリ-ダ-でありました。深く敬意を評します。

投稿: うえだ | 2011年4月25日 (月) 14時37分

こんばんわ。
普代村の住人で死者がいないと書かれてましたが・・・
普代村の方も野田を走行中に津波に襲われて亡くなった方のいるみたいです。
私の近所の方が今回の津波で命を奪われてしまいました。
でも、防潮堤のお陰で村が助かって安心しています。
今はどうか分かりませんが・・・
行方不明の方も1名いたと聞いています。
でも、普代村の事を書いている方がいて嬉しかったです。
ニュースなどでは殆ど流れなかったので。
ありがとうございます。

投稿: sistermama | 2012年3月12日 (月) 23時03分

Some time ago, I did need to buy a good house for my firm but I didn't earn enough money and couldn't order something. Thank goodness my father suggested to try to take the credit loans from trustworthy creditors. So, I acted so and was happy with my secured loan.

投稿: loans | 2012年11月13日 (火) 10時44分

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