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2011年1月

チェニジア、エジプト崩壊は伯林の壁の崩壊と同じ道を進むか。

1月30日

チェニジア、エジプト崩壊は伯林の壁の崩壊と同じ道を進むか。

1989年11月の歴史的伯林の壁の崩壊は、ソビエト連邦の崩壊、
、東西冷戦の終結、東西ドイツの統一等がおきた。この現象は
世界の経済の低迷、経済の混乱、民族主義の台頭、宗教主義
イスラム原理主義等の先鋭化、2001年9月11日、世界金融センタ
ーへの飛行機突入に始まる世界同時テロに繋がる負の連鎖にも
繋がっている。
 あれから10年、

 2011年1月、北アフリカのチェニジアで、高失業率
や食料価格高騰に抗議するデモが発生。

首都チュニスにも拡大、23年続いた独裁者ベンアリ大統領が

サウジアラビアに出国した。
 その飛火がエジプト(人口8000万人)に。

ムバラク大統領の退陣を求めるデモが先鋭化している。

1月30日現在約2000人の観光客がカイロ市内にいる。

「権力者に従順だ」といわれた国民の怒りは、
30年間独裁者ムバラク大統領への強い怒りだ。

高失業率、貧富の格差、権力層の腐敗等の不満が根底にある。
この流れが拡大すると、イスラム社会の中東諸国へのデモ、

国家権力者への打倒の拡大である。
そして国家転覆、社会的不安、宗教的対立の先鋭化、
、原油供給の不安定化、価格の高騰により世界的規模の

インフレを懸念される情勢が一気に起きている。

 具体的には、世界の軍事的バランスは、

アメリカは中東諸国イスラエルを援助しているが、

イスラム世界盟主のエジプトに経済的援助することにより

エジプトは中東の火種のイスラエルと平和条約を締結した。

 その思惑はアメリカの中東安全保障政策、原子力開発

に熱心なイランを警戒する為である。
 このままデモが拡大すると親米政権崩壊が懸念される。
さらに中東諸国の民主化の流れが加速して、

アラビ諸国の王族支配の崩壊に繋がる懸念もある。
 さらにノーベル平和賞受賞者劉暁波氏を抱える中国の

民主化要求の機運が高まる可能性がある。

 今起こっているチェニジア、エジプト発のデモの拡大は、

ベルリンの壁の崩壊より始まった、新しい世界秩序構築

の助走が始まったと考えられる。

 身近な事として、今日の2011年アジアカップサッカー、

カタールドーハにて日本はオーストラリアに1対0で勝利した。
18年前のドーハーの悲劇が今回はドーハーの歓喜に変った。
三浦和義、中山ゴン氏から本田圭佑、10番の香川真司、松井大輔

そして仙台市出身の今野選手に歓喜の輪が広がった。
控えの選手の充実、岡崎、磯貝、李選手のように終盤出た選手

の活躍が目立った大会であった。

神ががかった川島ゴールキーパーいいね。

インテルから触手のある長友は1試合15.6Kmも

走ったことはタフマンとして影のVIPだ。
VIP本田は何か持っている元祖である。

イチローと自主トレを午前中都内でしていた「佑チャン」は

持っているものを仲間ともじった人情家である。
 そして、午前3時頃からのBSでの表彰を見ていてきずいたのは、

オイルマネーのすごさである。
競技場が爆発していまうような花火の競演。
芝生が金色に染められた紙テープの演出。
度肝を抜かれた。
皮肉にも2022年ワールドカップ(FIFA)の開催国として負けた日本が
カタールで優勝したのである。
カタールは、2022年の開催に向けて演出の練習のためである

のであろうか、すごかった。
 
 話を元に戻すと、オイルを機軸とした王族支配体制の崩壊に繋がる

今回のデモの拡大を見逃してはいけない。
 2022年以前に王族支配体制は崩壊する。

 さらにバブル中国も破綻、混乱する。

 あと10年後のブログが楽しみである。

そこで、日本の国家として、官僚はもとより、国家を論じる政治家、
経済界が一同に介して、この世界の流れに対して

、この非常事態の兆候に対して、

国益を見据えた見識ある見解、対策を早急に立て、

世界同時不況の具を回避する為に、

世界への発信を期待したい。

現在の日本では、以前三井物産アメリカ支社長

時代の同僚の西村先輩の紹介で何度かお話をして頂いたが、

前宮城県浅野知事のブレーンであった寺島実郎氏が

一番信頼できる情報と見識を持っていると思うが。 

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「床屋のどんぐりさん」 を読んで

1月27日

「床屋のどんぐりさん」 を読んで。

福士まゆみさん、札幌市、37才、看護師、

第29回心に残る医療 体験記コンクール、読売新聞社賞

1月27日(木) 12版 27面に。

この作品は病院への出張専門の床屋さんが、脳幹出血で倒れた

入院中の父をおしゃれに散発してくれたことが嬉しく、家族が癒

されたという話です。

病気になっても、普通の生活を営みたいといった患者とその家族

の思いが伝わってくるさわやかな作品です。

この他にも「父の左手」「今日より明日」「ミクロの力で」も掲載

されていて、じんとくる体験記が綴られている。

中高生の部 最優秀賞 「痛み」という病気との闘い 祖母の癌との

戦いを通じていつまでも自分らしさを失わない生き方をサポート

してくれた病院サイド、医療従事者側の真摯な態度に感謝し、

自分の事として受け止めて書き上げた体験記です。

出身は仙台市 根本かなえ 17才 高校2年。

しっかり自分を見ていてすばらしい。

一方、日本医師会原中 勝征会長は国民皆保険制度

50周年を迎えて、この制度の堅持を主軸に、安心して

生涯を送れるような医療提供体制の実現に努力する

と力強く言われています。

アメリカと違い、大切なことと思います。

又、この審査委員には落合恵子(作家),竹下景子(女優)

,ねじめ正一(詩人)他3人程いましたが、驚いたのは、

顔写真で久保博氏が主催者側としていたことです。

高校時代に、下宿生組 1学年400人中 50人程いたのですが、

中新田町出身の久保博氏もいました。

「霧の中の少女」の久保浩という歌手と名前が同じであったので、

すぐに学校中で有名になりました。

友達が活躍ししている事は嬉しい限りです。

山形県の酒田市で記者をしていた頃もあり、今は事業部という事で

人生いろいろということでしょうか。

そういえば、6年程前、全国女子大学駅伝大会を大阪市から仙台市へ

招聘した仕掛け人が久保氏という噂も聞いたが、地元を忘れていない。

今後の活躍を期待して、今日はこれぐらいで、グッドラック。

久保博氏の友達、フリりダからメッセージあり

畑山幸之さん:ここと http://www.japanspirits.com/

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肉食系 豊かな音色

  肉食系 豊かな音色

  こんなお品書きが大文字で載っている。

  1月24日(月)12版 17面、 朝刊に載っている。

  誰のコラムか、何処の新聞かは、後ほどに。

  ステーキを食わなければ、良い演奏はできないわ。

  ということをいっているのである。

  演奏とはピアノ演奏の事である。

  この「ピアニストはスポーツ選手のような面があって、

  持久力と瞬発力の両方がいる。

  演奏会は試合と同じ。体力をつけるため、

  このところ毎日のように食べているのが牛肉だ。」

  と書いている。

 「食事は大切、食べると元気になる」と。

 お気に入りは、自宅で作る牛肉のステーキ丼、

 サーロインに塩コショウして強火で肉の両面焦がし、

 中はミディアムレアにする。

 すり下しニンニクにしょう油、サラダ油、少しの酢とスバイス、

 たっぴりのアサツキを加えたソースをかけて食べると。

 まさにその食事は男性肉体労働者である。

  この人は以前のコラムにも ピアノを弾く指は、

 肉体労働者の指と同じでごっつい手であると言っていたが。

 よく「白魚の指のようなピアニストの指」等という人が

 いるが、何も見ていない批評家である。

 又、昔の貧しい音楽家はハングリー精神に満ちていたと。

 食べたいものを食べ、言いたいことを言えるようになるには

 自分の才能を磨いて特別な存在になるしかなかったと。

 日本中がそうであったように。

 演奏家は肉体を通して自分を表現する宿命にあり、

 その肉体は1日放っておけば、衰えてしまう。

 きのう、天下の名演ができたから、

 あしたのできるとは限らないと。

   さてこの新聞は 読売新聞である。

 そして、この人物は、一昨年CDジャケット写真の撮影のために

 7キロダイエットした人である。

 つまり、「パワーがなくなって、演奏の音が痩せた。」と感じたと。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲(ちなみに、今年の仙台国際コンクール

 の選曲にもなっていたが)を弾くには、体重を戻して音を戻した

 という。聴衆には 外見より 良い演奏をしたいらしい。

 今日もジューシーなステーキ丼を食べている中村紘子さんの

 すてきなコラムであった。

  ちなみに、独身のときに 中村紘子さんが弘前市民会館での

 演奏会の前には、大学の葛西教授のピアノ室で練習してから 

 演奏会にのぞんでいたが、其のときに、一般の学生諸氏が

 サイン等で邪魔しないように、ドア前で用心棒をしていたのが

 私です。

 あの時と 「話し方」は変らない。

 43年以上も前の話である。

 

 

 

  

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わけありの実話 青森県作曲家協会

 わけありの実話。 青森県作曲家協会 ?

    正月明けの話であるが、

   突然電話がなった。

   おれおれと   ・・・詐欺じゃない。

   ちょっとまった。

   頭が混乱している。

   見たよ。

   知らなかった。

   立て続けに。

   今、電話していい と。

   学生時代のスキー部の あの顔であった。

   やっと顔が浮かんできた。

   何を興奮したのかというと、私の年賀状を受けたが、

   自分も、定年で、別会社に変ったからとの連絡であった。

   そして、肝心な話がでてきた。

    少し暇になり、インターネットで別の友達を検索していたら、

   あれ、見覚えのある名前が出ていると。

   まさか、 おまえとは。

   作品名  ソプラノのための<白いディスタンス..>

  作曲者 赤間 学

  青森県作曲家協会のページに載っていたとの驚きであった。

  まさか、なんで。土方のお前が。

  音楽展→全作品→第1回のプログラムに作曲家として

  作品を発表していると。  

  本当か、知っていたか、教えたぞと。

  お互いに、還暦も過ぎたから体を大切にな と電話が切られた。

  まさか、昔、チェロを ただで 阿保健、音楽科の先生に教わっていたが、

  この阿保健先生は、弘大フィルの初期の核になって、安達先生に発展を託し、

  また、青森県現代音楽の会を創設したいといっていた。

  其のとき声をかけていただいた縁だったからこの作品が残ったのであったのだ。

  すっかり忘れていた。

  今は笹森建英先生が引き継いでいて、弘前学院大学音楽堂で38回の演奏会を

  しているらしいが。ちなみに笹森先生はジュリアード音楽院で小野ヨーコさんと同期

  だったという噂があったが、まじめな先生であった。

  阿保健先生は 変った楽器も作っては演奏していたり、弾かされたり

  楽器名はバンボンだったようなきがする。

  リズムとメロディーを同時に演奏できる楽器であったと思いだす。

  又、テープを操作して、創作音楽をしたり、一時代前の小室等っぽい演奏方法も

  試みていた。そんな創作楽器を作りながら、津軽の地から、

  現代音楽を発信していきたかったというのが趣旨であったようだが。

  思い出すと、「かえるの子はおたまじゃくし」 であったのかな。

  スキー部の友達は、<白いディスタンス>は

  ディスタンスは距離競技スキーと訳す事もできるから、 

  君は 距離スキー5キロ、10キロ、30キロ のクラシュカル選手だったから、

  作品の名前に使ったのかと聞かれたが、もう忘れた。

  結果だけが残ったって感じ。

  前の前のページにこの題をつけたが、こんなことがあって書いたのですが。

  少しは昔の言葉が思い出される。

  一方、大学で仁科源一氏と一緒に、詩の同人誌「飛土」に参加していた。

  偶然、 東京本社から小名浜工事事務所、そして八戸工事事務所勤務になり、

  八戸港の北防波堤、中央防波堤、二号埠頭、三号埠頭のケーソン据付の

  仕事の合間に 中学校の英語先生として八戸市に赴任していた

  仁科源一氏が 社会人として、詩誌同人誌{斜坑」を出したいというので、

  釜石工事事務所に転勤までの6年間程参加させていただいた。

  田野畑村で詩誌を発行しいる人も八戸の同人読書会へ来ていたので

  、後も交流があったのに。役場の隣の住職だったかな。岩見さんだったか。

  しかし、この前、仁科源一氏の 詩人としての経歴の詳しい説明の中に、

  一切 私の名前が出てこない。

  八戸では仁科氏の奥さんも、子供も知っているのに。

  また、詩人で独語の小笠原茂介先生(亜土、主宰)と同人誌の読み比べ、

  読書会、鑑賞会をしたりしていたのに名前がない。

  悲しいものです。忘れられているのは。

  才能がないというのか、印象の薄いということか。

  それもこれも、一本の電話からであった。

  わけありの実話 である。

  じゃ、今日はこれまでとして。

  ココに来てよかったかな。?

 >そう、日曜日、BSで福原愛ちゃん応援していたのに。

  勿論、石川佳純17歳も応援していたが、

  準決勝戦での二人の対決は完全に佳純ちゃんが

  体のキレがあった。

  ホアに難ありかな愛ちゃん、外国人には強いのに。

  日本では研究されつくしているからね。

  世界順位は一桁だから、ロンドンオリンピックでは

  頑張ってね。応援しているよ。

  

   

   

     

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俳句に対する創造的「読み」(鑑賞)の提起

俳句に対する創造的「読み」(鑑賞)の提起

 正岡子規の「写生」は、「月並俳句」に対するカンフル剤として現れた。
「写生」の弊害は、作品より読者(鑑賞)に深刻な傷跡を残した。
 そして後の、高浜虚子の唱えた「客観写生」という理念は、現代文芸
に大きな影響を与えた。
文芸評論家の江藤淳氏は「リアリズムの源流」を高浜虚子の写生文に
求めた。
正岡子規の「写生」をキーワードとして、日本における小説・短歌・俳句
はリアリズムの動向に連動している。
自然主義者の作家は、作家の見聞した事実のみを描き、体験した事実
のみを歌うべきであると言っている。
「作歌の現場」では、私のそのままが作中の(私)でありうるという迷信
がはびこり、私そのままが作中の(私)として定着されてこそ名歌なのだ、
といった奇妙な仮説まで生まれた。
そのことに追従するように、俳句を鑑賞する場合には、現場踏破主義、
作者の意図第一主義、伝記密着主義に陥る傾向が現れてきた。
 さらに深刻な問題は自然主義・客観写生は少数派ではなく、現代に至
るまで底流を流れていることである。
 ゆえに、その原因を探る為に、深層を流れる日本人の感受性・言語感
を分析する必要に迫られたのである。
日本人は自分の経験したことによる感性を第一義にする思考体質がある。
それは言語そのものからのイマジネーションより経験が重要視されると
いうことである。
その日本的な感性を、丸山真男は「実感信仰」(日本の思想)と呼んだ。
実感信仰のおかげで、日本語の感覚的ニュアンスを表現する語彙を
きわめて豊富に持つ結果をもたらした。
加藤楸邨氏の俳句には「実感信仰」が色濃く反映されている。
小説では新感覚派の川端康成・横光利一氏の作品のように、四季に
自らの感情を託したり、微妙に揺れ動く心理を形象化した場合に優れた
表現となった。
さらに俳句では「写生」と「実感信仰」が結合し、次第に強化されて、
「客観写生」に変容していった。
今日の俳句の大衆化も、日本人の持つこの感性の所産にあると思われる。
だから、作為や工夫が忌み嫌われるのもその為である。
しかし「写生」が対象を取捨選択すること自体が、「作為」的な行為で
ある以上、所詮、無理な話である。
そのために、「事実がリアリティがあるかどうか」という妙な倒錯(とうさく)
に至ったのである。
阿部完一の著書「絶対本質の俳句論」において、俳句を読む際は、
「知的な論理」「感情の論理」の論理を俳句観賞から排斥すべきとしており、
「感覚(感性)の論理」こそを、尊重すべきだと説いている。
 彼は、「直感読み」を謂う。
ぴんとくるか来ないかということ。
「わかる」「わからない」という判断以前に、一句が胸に落ちる。
そして納得すること。
その句を「理」以前の私に相対せしめること。
それが「直感読み」であり、「俳句一句を読む」ということであると。
しかしまた、「直感」に依存することは、「実感信仰」に疑いを持たず、
許容することである。
そのことは、作品を自分の経験に当てはめるだけの「読み」が横行してしまう
結果にもなっている。
そこで、それを防ぐ為には、佳句を選ぶには、「直感読み」から「言語を読み」、
その論理性に従った思考して、作品の良さを判断する必要がある。
つまりその結果、「作品との対話」ができるかどうかにかかっているということ
でもある。
それが「実感信仰」を免れる術である。
一方、作句作家において、言語が現実をそのまま描くのに不向きな手段で
あるという事実を受け入れることが必要である。
それは俳句に適した表現方法を考え直すことが必要であるということも
示唆している。
表現の成否を決定するのはリアリティである。
特に俳句は「もののイメージ」を起爆剤として、一つの世界を作りあげる文芸
であるからである。
その意味では俳句は「もの」を描く詩であるとした先人たちの教えは誤り
ではない。
言語の本質は「抽象性」・「概念性」である。
極言すれば、具象的に見える言葉でも抽象性は免れることはできない。
言葉による「言い訳」の成否は、言語能力・抽象化能力により決まる。
人間は文化を作り上げてきたという「言い訳」の歴史でもある。
そして言葉によってしか表す事ができないものがあるというのも事実である。
例えば、日本の歌論には伝統的に「心」か「言葉」かという対置された論争がある。
これは日本人の深層心理の裡に、言語と精神の不可分性があるという
認識を持つことが肝要である。
さらに、言語は具象性より抽象性に本質がある。
話を戻せば、俳句という最短詩型においては、一層の抽象性がある。
そして、必然的に多義性が派生する。
この多義性が俳句の可能性を拡大する結果になっている。
勿論、多義性がイメージの拡散、曖昧さを助長させるのなら問題だが、
二重写し等により多義性の活用は有意義である。
抽象性・多義性は俳句本来の性質である。
つまり、読者(鑑賞者)はこの特質を生かして、固定観念を離れて、別の言い方を
すれば、読者が俳句の鑑賞に積極的に参加する事が肝腎である。
 現実には、正反対の現象が起きているのが問題である。
また、俳壇、歌壇とも読者のことなど考えなくてよいという傾向がある。
読者を想定することは、迎合することと同一だとされてもいる。
だから作品は対話でなく独語となっている。
一方、読者も作品の成立から疎外され、共感するか、否かの鑑賞しかない。
悪循環であり、成熟した「読者の不在」が続いている。

だから提起します。。
読者による、俳句に対する創造的「読み」の提起をします。

俳句との対話を復活させるためには、創造的「読み」が必要だ。
俳句を独語にさせないために。

俳句作品の世界を読者なりに創造しよう。
恣意的な読みとは一線を引かねばならないが。
言語の論理性に従った上で、イマジネーションをはばたかせて、
創造的「読み」を実践しよう。
言語体験が違うから、「読み」のくい違いがあるのは仕方ない。
他の読者と解釈が一致しないことを恐る必要はない。
読者が作品から新しい世界を引き出すことにより、作者と読者の健全な関係が
生まれるのだ。

最後に作者偏重から、作品重視へ、
そして読者の「創造的読み」を期待したい。

「参考文献」
江藤淳「リアリズムの源流」河出書房新社
佐々木幸綱「作歌の現場」角川選書
阿部完一「絶対本質の俳句論」
桑原武夫「第二芸術ー現代俳句について」河出書房
萩山栄一 論文「俳句によって「読み」とは何か
丸山真男「日本の思想」 岩波新書

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 ソプラノのための<白いディスタンス>

題  ソプラノのための<白いディスタンス>

    ★ 一本の木を野に立たす雪の花

    ★ ひとひらの花あればよし逝く母に

    ★ 踏切の青空停る彼岸かな

      ★ 山霧の花は影なり水芭蕉

    ★ こもごもの風になりたり卒業子

    ★ 山笑ふ大河の風はシンフォニー

    ★ 花から花へせはしなき胡蝶かな

    ★ しゃぼん玉泪の色はすみれ色

 
    ★ 楡の風ひと夏だけのコンサート

 
    ★ 箒草写生写生と言はれても

    ★ 向日葵やドン・キホーティの長い槍

      ★ 沙羅の花デートリッヒの反戦歌

        ★ ゆりの花キング牧師の演説に

    ★ 誰が為に鐘は鳴るなり長崎忌

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続 「第二芸術論」の読後について

続「第二芸術論」の読後について

 切っ掛けは句会で菅原鬨也主宰が話題にした事と坪内捻典著
「モーロク俳句ますます盛んー俳句百年の遊び」岩波書店、
(第二芸術論の本質的・現在的意味)が出版された事とが重なっ

たためです。皮肉にもその本が桑原武夫学芸賞を受賞した事も

あり、昭和21年出版の、あの昔の第二芸術論ー原文を読んで

みたくなった次第です。その感想を書きます。

 前回 要旨でも書きましたが、この第二芸術論ー文章は素直に
読めば、あくまで戦後すぐの時局的な啓蒙家の発言であって、
決して俳句本質論などは書かれておりません。
この文章をひとことに煎じ詰めれば、俳句なんかくだらないものは
やめてしまえ、よしんば好きな連中は簡単にやめないだろうから、
例として自分の子供を引き合い出しているのであるので、その学

校教育からは、俳句は締め出して欲しいと言っているだけなのです。
 しかし、現代までこれだけ騒がれているのは、ただ一点に尽きる。
それは「第二芸術」というフレーズの成功そのものなのです。
 この文章・論文は、それ自体はどうということもないもので、文章の

最後で「第二芸術」という言葉が登場せず、したがって論文名にも冠

せられなかったら早々と忘れ去られていたはずです。
 要旨で記述したように、桑原氏がさまざま挙げている俳句批判の根拠
などは、すべて相対的なものにしか過ぎません。
 しかし、桑原氏の根底には戦前の事を踏まえて、戦後に文学・芸術を
反省するにあたって、簡単に俳句の復興が起こったので、あえて、短歌
より俳句を選んで論破しようとしたと思われます。
 またフランス語学者であるから、西欧かぶれしていたことは難くない。
私も、西欧近代の学問・芸術・政治システム等は、すばらしいと思います。
そして、それは桑原氏に対しても同じです。
 しかし、だからと言って俳句に関する意見が同じになりはしないのです。
 それは、「第二芸術について」(「詩学」昭和二十三年一月)という坂口
安吾氏の文章があります。
 坂口氏はきわめて簡潔に、俳句しか知らず、詩一般に通じていない者は、
もともと詩人ではない。

日本にはそんな詩人ばかりであると言っている。
もちろん、坂口氏の言うのは知識や教養のレベルのことではない。

作句すること、或いは俳句観を考えることが、日本の詩=文学一般と深く

交叉していないかぎり、無意味だといっている。

 つまり俳句は、自分の作品が他者にどのように読まれるかを通して、

句会では添削や推敲が行われた。

別の言い方をすれば、句会における個人は、他者を受け入れ、他者と

ともに創造する個人である。
俳句が表現する個人の感情とは、そんな他者に開いた個人の感情であ
った。

それは作詩における同人同士の読書会の趣とは少し違うのである。

詩の鑑賞は合議性の雰囲気があるが、俳句は主宰の意見におう

ところが大部分である。それは封建的、ギルド制的師弟関係である。

現代詩は作品の共感性よりも、詩性が重要であり、詩創作の判断

基準になっているように思う。
つまり、現代詩は詩性を研磨する場としての読書会・鑑賞会である

場合が多いのである。

あくまでも個人の発露であるべきであるという、暗黙のうちの了解で

集まっている同人達である。
 以上のような俳句と現代詩との違いなど、この文章・論文の中では、

一切語られていない。

 つまり、先にも言ったが、この論文は趣味の域を越えていないの
である。
 しかし、その論文を基にした、「三月の甘納豆のうふふふふ」の坪内先生の
著書は 「戦後俳句のゆくえ」 において白眉である。しかし第二芸術と

いうフレーズに便乗しているように思うことも頭をよぎる。

でも受賞はおめでたいことである。

蛇足ですが、12月18日のNHK俳句王国に出演されており、同人の

堀籠政彦さんも出演されていました。「立札の朱文字の剥離雪女」

の自由句を提出しましたが、坪内先生は「雪女」の句はぴんとこず、

一句も作らっていないとの事でした。雪国に育った私には驚きでした。

しかし日本中の動物園のカバは制覇したらしい。面白い人物ですね。

 さてゼロ世代の若手の台頭はめざましく、俳句評論の見事な論説

に舌を巻く次第です。頭まで巻かれて、発条仕掛けで解けそうです。
 俳句が盛んになることはいいことです。

エコの最先端文学ですから。

 軽口がでたところで、今日はさようなら。

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第二芸術論ー現代俳句について

第二芸術論ー現代俳句について

  雑誌「世界」に発表された文章:
  昭和21年11月号 「世界」     
  表題    第二芸術ー現代俳句についてー桑原武夫

論文を読む為の基礎知識

背景:
桑原武夫:フランス文学者:帝国大学 東北大学法文学部 フランス語
助教授:1942年~1947年まで。後、京都大学人文科学研究所教授
へ。西田幾太郎と同僚。スタンダールやアランの研究。フランス百科
全書の研究:「ルソー研究」、梅原猛、多田幾太郎と同僚。 
ただし、学者というより気楽に素人として興味をもつ者の視点をもつ人物
であった。
第二芸術論にl関しても、アイバーリチャードの「実践批評」でもちいた手法
をそのまま転用したと、外山滋比古は指摘している。
小松左京との対談で「おもいつきでやっている」ねと。
すると「おもいつきであるが、あんたの思いつきをいえ」と  
また1958年、京都大学山岳会隊長として、パキスタンのチャゴリザへの
登頂に成功した。文化勲章受賞:

尚、永野為武(孫柳)氏:桑原氏に俳句資料を提供したと思われるが、
その事の記述はない。理学部生物学者:動物学:翻訳「本能の研究」;
東北大学では、桑原武夫氏と同僚:
宮城県俳句クラブ、協会等の役員:俳誌「饗宴」主宰。
メタセコイア春暁あかつき・の光儀こうぎ・さす:化石メタセコイアの研究家。
石博てば冬木の随の応えけり:松島博物館句碑
サンタ・クロース煙突のない家ばかり:

「第二芸術論」を発表した時の雑誌発表年譜  
 
☆発表年次と発表雑誌及び表題名;
   昭和21年 1月号  世界 「趣味判断」
   昭和21年 2月号  郡山 「断層」
   昭和21年 2月号  新潮 「文学修業」
   昭和21年 2月号  人間 「日本現代小説の弱点」
   昭和21年 2月号  東北文学 「新文学の模索」で舟橋聖一、
                日比野士郎と対談)
   昭和21年 4月号  せんてつ 「ものいいについて」
   昭和21年5・6月号 世界文学 「模倣について」
   昭和21年 6月号  美術  「ブウルデル雑記」
   昭和21年 8月号  人間  「西洋文学研究における
                     孤立化について」
   昭和21年6月~10月 東北学生新聞 「文芸俗論」
   昭和21年9月2日   河北新報 「文化の将来」 
   昭和21年10月14日 朝日新聞 「文化院の問題」

 ●昭和21年11月号 世界「第二芸術」

   昭和21年11月号  新潮 「三好達治君への手紙」
   昭和22年 3月号  文芸 「谷崎氏のインネイ・ライサン」
   昭和22年 4月号  東北文学 「芭蕉について」     
   昭和22年 4月号  文芸 「横光氏の秋の日」
  昭和21年~22年  石巻教員研究会そのほかでの
                「談話のあらまし」
        
 ●昭和22年5月10日 白日書院 「現代日本文化の反省」
                で以上が出版されている。
 ★ あとがきに、昭和21年~昭和22年の一年あまりの本業
    の余暇の仕事であると。また、50年後、1946年頃にいま
    では自明なことを力説していた人間がいたのかと笑って
    ほしいとある。、
 ★ この本の一貫した態度は、俳句のみでなく一般に、第二
   芸術的な封建的文化の批判にあった。
 ★ あとがきに「現代詩とは何か」「短詩型文学流行の社会
    的理由」を書かねばと思っているともある。
 ● 昭和21年~22年 本業では「現代フランス文学の諸相」
         筑魔書房: 1949年に発表。

===============================
         
 1 第二芸術   ー現代俳句についてー    要旨

    戦後の昭和21年2月号 新潮 「文学修行」、人間 
   「日本現代小説の弱点」に書いたことをベースに、書い
   てある。
   (文学修行の要旨は、文学の研究法を文学好きの学生
    に話なした内容であり、文学研究の一歩は、好きな
   作家の全集を読むことがいいと。
   そうすれば 一人の大芸術家と同時に一個の人間を捉
   えられる。またその時代がどんなものだったかがわかる
   からという内容である。
    一方で日本に小説家の欠点を不勉強、無学といって
   いる。また学者を軽蔑するのもいいともいっている。
日本の現代作家は狭い世界しか書かない。
   書けないのは、学問によって広く世界を見る眼をもたな
   いからだと。 
    また、文学の愛読者幻としてとどまる気なら(それも
   いいと。いや大いに意味のあることだとも。
   本当に優秀な文学愛好家の少ないことが日本文学の
   弱味なんだから)好きな小説を色々読むのはいいこと
   だと結論つけている。
    また、本を読むのは忘れるためだとも。
   作家修業、この一筋の道はきらいで、芭蕉の「幻住庵
   の記」などが今だに文学理論に使われたりしていると
   いうことは、日本の文学がまだ近代化していない証拠
   で、これを反省せねば本当の小説など生まれる筈は
   ないと。
    人間修行ー現在の今を忠実に生きる以外は道はない
   じゃないか。さらに小説を読むときは本気で読むことだ。
   筆者は中学から高校まで宗教的に小説に打ち込んだ。
   外国文学を読んでもらいたい。
   小説なら19世紀の作家、バァレリ、ジッド、バツザック、
   スタンダール、トルストイ、がよいと。
    まぜなら、本当に理解されていないから。
   そして、19世紀が「小説の世紀」であることは間違いな
   いとも付け加えている。
         筆者は日本の明治以来の小説がつまらない理由の一
   つは、作家の思想的社会的無自覚にあって、そうした
   安易な創作態度の有力なモデルとして俳諧があるだろう
   と、昭和21年1月世界1月号「趣味判断」に書いてある
   ように以前から主張してきた。
    そしてこの事に関しては、「これと同じような趣意のこと」
   を話すと、俳句については必ず反駁的質問があり、俳諧の
   勢力がいかに根強いかを痛感させられると書いてある。
   つまり、俳諧、俳句は、最初から安易な創作態度のモデル
   であると決め付けていた。
    そしてその根拠の正当性を引き出すきっかけを、子供の
   教育状況としている。つまり、自分の子供が国民学校で、
   雪残る頂一つ国ざかひ 子規、
   赤い椿白い椿と落ちにけり 碧梧桐、の俳句を習ってきて
   説明を求められたことが、引き金になり、この現代俳句に
   ついて書く切っ掛けになったと記述されている。

    そして、かの有名な、例をあげての「実践批評」を用いた
   手法が述べられている。
    そのくだりを原文通り記載すると、
    例えとして、俳句を現代の名家の十句と無名の五句の
    十五句を作者を伏して 同僚の学者と学生に示して意見
    を求めた。その意見の方法は、
    1.優劣の順位をつける。
    2.優劣にかかわらず、どれが名家の誰の作品であるか
      推敲をこころみる。
   3.専門家の十句と普通人の五句の区別をつけられるか、
     考えてみていただきたい。
     尚、同僚の学者とあるのは、宮城県俳句会の重鎮、理
   学部生物学者、永野為武(俳号永野孫柳)助教授であろうが、
   15句の選句に加わったかは未定である。孫柳氏に俳句
   資料だけを貸りて、桑原氏の主張の正当性を示す句だけを
   本人が選句したと思われる。永野先生からこのことについて
   話を聞いた人がいないようであるので、このことが有名は
   論争になったので、先生が逆に戸惑っていたのではないか
   と推測する。新しい話題があれば教えてほしいものであるが、
   下記にその句を載せます。

    1.芽ぐむかと大きな幹を撫でながら  
    2.初蝶の吾を廻りていづこにか                       
    3.咳くヒポクリットベートーヴェンひゞく朝(しわぶ・く偽善者)    
    4.粥腹のおぼつかなしや花の山
    5.夕浪の刻みそめたる夕涼し
    6.鯛敷やうねりの上の淡路島                       
    7.爰(ここ)に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り        
    8.麦踏むやつめたき風の日のつゞく                  
    9.終戦の夜のあけしらむ天の川 
   10.椅子に在り冬日は燃えて近づき来                 
   11.腰立てし焦土の麦に南風荒き                    
   12.囀や風少しあろ峠道                         
   13.防風のこゝ迄砂に埋もれしと                     
   14.大揖斐の川面を打ちて氷雨かな  (おおいび)          
   15.柿干して今日の独り居雲もなし    

   1.阿波野青畝あわのせいほ  2.無    
   3.中村草田男なかむらくさたお 
   4.日野草城ひのそうじょう 
   5.富安風生とみやすふうせい
   6.無  7.荻原井泉水おぎわらせいせんすい 
   8.無  9.飯田蛇笏いいだだこつ  10.松本たかし
  11.臼田亜浪うすだあろう   12.無 
  13.高浜虚子 14.無    15.水原秋桜子 
   ★無名  

 蛇足になるが、各人の句で覚えている句を下記に示す。

   阿波野青畝: 山又山山桜又山桜
   中村草田男: 玫瑰や今も沖には未来あり
   日野草城:   春の灯や女は持たぬのどぼとけ
   富安風生:   みちのくの伊達の郡の春田かな
   荻原井泉水: 昼は池の氷に日がさしてきて元旦
   飯田蛇笏:   をりとりてはらりとおもきすすきかな
   松本たかし:  チチポポと鼓打たうよ花月夜
   臼田亜浪:   今日も暮るる吹雪の底の大日輪
   高浜虚子:   白牡丹といふといへでも紅ほのか
   水原秋桜子:  冬菊のまとふはおのがひかりのみ:
 
  
    ここで筆者は、俳句の鑑賞をしないで選句しているふし
  がある。俳句の経験は皆無であるので、これらの句のある
  ものは理解できず、従って自分の心の中で一つのまとまっ
  た形を得なかった。鑑賞できなかったという事であろう。   
   3.7.10.11.13の句は、自分にはまず言葉として何
  のことかわからないと記述している。

   原文のまま書くが、
  わかりやすいということが芸術品の価値を決定するもの
  では、もとよりないが、作品を通して作者の経験が鑑賞
  者のうちに再生産されるというものでなければ芸術の意
  味はない。
   現代俳句の芸術としてのこうした弱点をはっきり示す
  事実は、現代俳人の作品の鑑賞あるいは解釈というよう
  な文章や書物が、俳人が自己の句を説明したものをも含
  めて、はなはだ多く存在するという現象である。
   さらに、俳句が西洋文学に学ぼうとするなら、成否は別
  として、せめてニヒリズムに注目すべきであったが、俳人
  はそれすら気付かなかったようであるとも言い放つている。
   また、俳句に新しさを出そうとして、人生をもり込もうとする
  傾向があるが、人生そのものが近代化しつつある以上、いま
  の現実的人生は俳句には入りえない。
  俳諧修行は人格の完成である。だから現代俳句に人生を盛
  ることが、困難であることがわかると。
    そして、桑原氏は最後にこのように結んでいる。
  小説や近代劇と違い、菊作りを芸術ということは躊躇される。
  「芸」というのがよい。しいて芸術の名を要求するならば、私は
  代俳句を「第二芸術」と呼んで、他と区別するのがよいと思ふ。
  第二芸術たる限り、もはや何のむずかしい理屈もいらぬ訳で
  ある。
  俳句はかっての第一芸術であった芭蕉にかえれなどといわず
  に、むしろ率直にその慰戯性を自覚し、宗因(連歌)にこそかえ
  るべきである。それが現状にも即した正直な道である。
    一方、この説に反論として、水原秋桜子、黄峰2号に
  「俳句のことは自身作句して見なければわからないものであ
  る。」と。次に、十五句で発見したことは、一句だけではその
  作者の優劣がわかりにくく、一流大家と素人との区別がつき
  かねるという事実であるとした。
   芸術的価値判断により作者が区別できることはなく、現代俳句は
 まず署名を見て、それから作品を鑑賞するより他はないようである。
  そもそも現代の俳句は、芸術作品自体(一句)では、その作者の
 地位を決定することが困難である。
  そこで芸術家の地位は芸術以外のところにおいて、つまり作者の
 俗世界における地位のごときものによって決められる他はない。
  弟子の多少とか、その主宰する雑誌の発行部数とか、さらにその
 俳人の世間的勢力といったものを標準をおかざろう得なくなる。
 だから俳壇においては 党派をつくるのが必然の要請である。
 しかもその党派成立の目的が勢力である以上、一党派の中で有力
 になれば別派をつくるのは自然である。
 家元、総師がいることになる。そして中世職人組合的なものでるから、
 そこには当然神格化の傾向が含まれる。
  古い権威を必要とする。その聖君が芭蕉である。さび、しをり、
  軽み等々はその経文(キョウモン)であると断じた。

    筆者はフランス語学者であるから、フランス人は巧妙な言葉の
  やりとりを楽しんでいるが、これを芸術などとは夢にも思っていない。
  彼らは芸術というものをもっと高いものと考えている。
   だから芸術の尊重がある。日本ではどうか。
  俳句のごとき誰にも安易に生産されるジャンルが有力に存在した
  ことも大きな理由である。
  芸術は自分たちにも楽にできる。芸術はひまと器用さの問題だと
  決め付けている。だから偉大な芸術家は決して生まれない。
  また、芸術に対する安易な態度が存するかぎり、ヨーロッパの
  偉大な近代芸術のごときは何時になっても正しく理解されなぬ
  だろうと結んでいる。

  (文章は原稿用紙36枚分  約14、400字の論文である。)
==============================
  
  以上が 第二芸術論 の文章の要旨である。

   これに対して高浜虚子氏は「第二芸術論」で結構と。
 虚子は「自分らが始めたころは世間で俳句を芸術だと思っている
 ものはなかった。せいぜい第二十芸術くらいのところか。
 十八級特進したんだから結構じゃないか」と言ったという逸話もある。
   去年今年貫く棒の如きもの     高浜虚子
   

●学の視点としては

  1.桑原氏は戦後の虚脱と混沌した混乱の中で、文学へ、文学の
    外部へ堰を切って語る始めた人々の中の一人であった事。
  2.内務省の検閲から、GHQ検閲を意識しながら、表現の欲望に
    突き動かされた文学者の模索が始まった。
    そうした発言が要請された時代的背景があったこと。
  3.戦後の混乱で、読者は、将来的に終わるものと始まるものを
    知りたいという選別的な意識が多分にあったこと。

   以上三点が、この文章を読んでみた感想である。
   文章の内容は、現代に提起している問題もあるが、それほど
   深刻なものでなく、重要な課題でもない。
    取り巻く時代が俳句を変容させていることに、興味がある。
   一方ぶれない俳句感、人生観を持ちたいと思うこのごろで
   ある。
   中身に関しては、もう一度研究して感想を述べたいと思う。

   参考図書:第二芸術論 河出文庫 桑原武夫著 

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新春賀詞交歓会

>1月10日(月)成人式ですが、県の俳句協会が新春賀詞交歓会を毎年行われている。

>いろんな新年会があるが、出席者全員が当季雑詠一句を投票してもらい、全員に三句

  を選句して頂き、それで遊びあうという文化があるのは俳句特有であると思う。

>そんな中で、今年の特選句となった句を披露します。

>各人の了解を得ていないので、名前を伏せますが、宜しくお願いします。

  ★ ふるさとの山河の香る薺粥 (なずなかゆ)

   ★   磯山の松の高さや寒に入る

  ★ 成人の日や海鳥のみな真白

  ★ 寒晴や葱一本を引き抜いて

  ★ 大寒の谷のぼり来る斧こだま

  ★ 降る雪がひかりに変る七日かな

  ★ 五六の小枝撓める淑気かな

>私の句は 松山や雪の上なる子規うさぎ

  スコンクということで、今年も春からダメダメである。

  そういいながら、子規の干支は うさぎ であったと知っただけでもいいか。

  子規うさぎが 俳句の町の雲の上で飛び跳ねているのも、いいではないか。

>楽しい会であった。

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新年会  余興の部より

今日1月9日 新年会です。又の名は新年祝賀会とも、俳句仲間の会。

ホテルコムズ仙台「花宴の間」、参加64名予定であるが、例年の如く余興担当でありんす。

王様ゲームではなく、季語当てゲームです。ロッカビリー歌手山下敬一郎さんの訃報があり

ましたが、以前NHKでジェスチャーという人気番組ありましたが、その中の人気者、柳家

きんごろうさんのご子息でしたね。そのジェスチャーで季語を当てるゲームです。

 テーブル毎 6チームができるので、各テーブルから1人選びジェスチャーをしてもらい

そのテーブルで1分以内に答えられなければ、全員が答えられるという方法でします。

 答えがでない場合は、私の出番で、季語を抜いた俳句を読み、ヒントを与えます。

解答者には、千円の図書券が与えられます。

 さて、今回は、私と兄とが、海老蔵いない中で、歌舞伎の口上に臨む予定です。

稲瀬川の場の口上です。私は「白波五人男」より日本駄右衛門です。

河竹黙阿弥作です。まずは口上を下記に。

 

 問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、

 十四の時から親に別れ、身の生業も白波の、沖を越えたる夜働き、

 盗むはすれど非道はせず、人に情けを掛川から、金谷をかけて宿々で、

 義賊と噂高札に、廻る配布の盥越し、

 あぶねえその身の境涯も、もはや四十に人間の、定めはわずか五十年、

 六十余州に隠れのねえ、賊徒の張本 日本駄右衛門

 

 さて、この口上うまく言えるかな。中学時代から演じているので、中々のものと

勝手に思っている。

 では。また。

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2011年版 年間 20句選句 (俳句年鑑及び 俳句研究年鑑)より

私の好きな20句+α          赤間 学  

暮れてより親しきわが家足袋白し   山口優夢  

氷ぶちまけ魚屋の裏寒暮        相子智恵

万象より文字は生まれぬ初蕨     富田拓也  

霙るるや昭和は遠くなりにけり     五島高資  

スケートの花びらほどの衣まとひ    黛まどか  

雨になるまでは寝てゐるかたつむり  土肥あき子  

ニコライの鐘背なに聞く雁渡し     加古宗也  

噴水の衰へてゆく氷柱かな       坊城俊樹

たましいに尾ひれありけり夜の秋   あざ蓉子

うたはねば冬のヒバリはさびしき鳥  筑紫磐井  

一つとて視えず聴えず百八つ     松澤雅世 

花筏暗きへ大和戦艦忌         小檜山繁子  

たんぽぽや鉄の匂ひの臨港区     正部家一夫

身を濡らすほどには降らず草の市   牧辰夫 

白鳥の妻に呼ばれし森澄雄      角川春樹

十一月の窓際に通されし          仁平勝

砂糖菓子 ほろほろ零す 如月は   伊丹公子 

ただ一枚の玉音盤に蟲集く       磯貝碧蹄館 

みちのくのまほろば束ね稲穂波    藤木倶子 

庖丁へ大つごもりの水勢ふ       蓬田紀枝子

    

遠ざかる仏陀を見つめ春の鹿     菅原鬨也

万象より文字は生まれぬ初蕨      富田拓也 

季語は「初蕨」で春。詩歌では、『万葉集』の「石走る垂水のうえのさわらびの萌え出づる

春になりにけるかも」(志貴皇子)が有名だ。又下敷きにしている。

 蕨や薇は春を告げる山菜の代表だ。

句意としては蕨を見て、宇宙の事象より文字が生まれると直感したと言う事である。 

鑑賞のポイントは俳句的「薇」でなく和歌的「蕨」である点と「初」である。

季語の皮膚感覚で感じた蕨の初々しさこそ、句意を納得させ、作者と読者の深層心理に

働きかけてくる。

ただ一枚の玉音盤に蟲集く       磯貝碧蹄館

 季語は「蟲集く(むしすだく)」で秋。「万葉集」では、

秋に鳴く虫を蟋蟀と総称して、蝉も虫とし、姿より声に

美を感じてきた。欧米人には雑音に聞こえるという。

 句意は八月十五日正午、終戦の詔勅(玉音放送)

に、虫の如くに臣民が聞き入っている構図であろう。

 俳句では素材選択の良否が、皮膚感覚の共感性

に影響を与える。一枚の玉音盤の数奇な運命を思う

に、自分の歴史をも折込ながら鑑賞することも許さ

れるであろう。いろいろな虫の音があっていいのだ。

遠ざかる仏陀を見つめ春の鹿       菅原鬨也 

 季語は「春の鹿」で春。雄は角が落ち、雌は出産してその後は毛が抜け落ちる、雌雄ともみすぼらしい鹿である。

 師系である藤田湘子の第十句集 神楽ー「春の鹿幻を見て立ちにけり」を意識したこと

は難くない。

 「遠ざかる仏陀」には、宮澤賢治研究家であり、岡井省ニ氏を師と仰ぐ作者の精神の

ありようを提示しているのかもしれない。

 無理に読み取ろうとするとき、そこに提示されているものが、歪んでしまう気がする。

じっくりと鑑賞したい作品だ。

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2011年 新年詠

       新年

 わたくしを待ちくたびれる雪うさぎ

★ 松山の雲の上なる子規うさぎ

 けぶり立つ富士の頂初景色

★ 初晴や海を真横に一輪車

★ 鉄塔に上る影あり初鴉

 
★ 海峡の光る浪間に鷹柱

            
★ 社長とやまあ初春の訓示せり

 
★ 冬空をストローで吸ふ灯よ

★ 冬の空夜にしづかに降りてくる

★ オーロラの白熊沖に出てゆけり

★ 凍鶴は宇宙への旅行ったきり

  
★ くちづけの少し長きや雪明かり

★ 告げるとき雪で埋め尽くされてゆく

★ ラクビーのジャージ裂かれて終わりけり

★ 長靴を地吹雪の渦巻いてゆく

★ しかしまだ先は遠きか木々の雪

★ 布団干すいつもの場所の日溜まりに

★ どうせすぐゆく身でありしふくと汁

  
★ ふくと汁ごくんと音す喉仏

  
★ 毒抜きをされてしまゐしふくと汁

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2011年 去年今年 私的な話

2011年、年末年始、私的な話ですみませんが、酒とさかなの話です。

大晦日、酒の魚に煮魚を作ってみる。

魚は吉次となめたかれーである。

酒は「国生」熊本産、芋焼酎である。

芋の香りは仄かである。

ワイン風味の酒と言えば、宮城県なら一の蔵や、

新潟の酒がこの種である。越の寒梅、久保田

八海山等、今の時代の流れである。

宮城県でも仙台近郊、富谷町の「鳳凰」も風味を

抑えて、爽やか系にして、英国の酒類部門で金賞の快挙を得た。

 だが乾坤一の辛口も渋い。やはり酒は誰と呑むか、

呑む場所でも味わいが違う物で、それに合わせた呑み方があっていい。

ワインだけにまかせることはない。

日本人には取り合わせ文化が似合う。

 ちなみに、取り合わせ文化の頂点は、俳句である。

俳句のニ物衝撃、二句一章、がそれに当たり、

3日前の句の

 寒柝の曲がるや北の開拓史

等がこれにあたる。

夜回りの拍子木が角を曲がった音に変わりながら

遠く去ってゆくことを、音で感じたとき、明治以降の

北海道開拓、下北開拓、八郎潟干拓、十三湖干拓

等の男の働く姿を思い出した。

 そんな感情を表すのに、十七文字という世界最短詩系、
 

俳句で表すのと、「酒呑みと料理」とは同じである。

 さて魚の煮付けは、基本は魚の匂いをどう消すかである。

私の方法は、沸騰の湯に魚を晒す。其の後に氷の水に

入れて肉質を閉める。その途中で、ウロコや汚れを取る。

 一方、鍋に水に入れて、千切りごぼうと人参、時には

葱を敷き、その上に、処理した魚を浸して置く。

 水の量は多めに、魚の上身が浸っている状況です。

 みりん、酒、酢、、昆布つゆ、で煮始める。

沸騰させた後、中火にして、醤油、唐辛子少々を控えめに入れる。

 5分間ほど、あくをとるが、魚にはさわらない。煮崩れしないため。

 匂い消しには、生姜のしぼり汁、面切と梅干果肉、ロリエ少々を入れる。

 落とし蓋をして、45分程煮たら、水の量から煮詰まる間の5分だけは

しっかり鍋を管理する。

味見しながら、醤油を加え、その量と同じほどのみりんを加える。

 汁が少し残っている状況で煮詰まったときがいい按配だ。

これで吉次はできたし、なめたも基本はおなじだが、正月にも

食うので、みりん、さけを多くして入れて、煮こごりができやすくした。

 「国生」であるが、おにゃんこの国生さゆりのおじさんの酒造所の作品である。

紅白と息子の希望でダウンタウンの番組と掛け持ちでみながら、

ああだこうだいうものまた、楽しいが。いつまで続くのかしらと妻は言う。

 ロックで呑むより、水割りより、香りがまろやかであり、

お湯割がいい。いい香りがしてくる。すっきりしている。

 今年はいい酒に当たり、料理の腕もあげたので、お店の刺身だけない

通の味を得て満足であった。

 元旦の11時に、娘夫婦が挨拶に来る。

吉次の煮付けも出そう。婿殿は魚釣りが趣味で、相馬や志津川方面にも

いくので話があう。

 こんな個人的な話を書いてしまい、正月につき、お許しを。

失礼しました。ではまたの機会に。

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