« 2009年10月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

2010年 政治を振り返って。

「2010年 政治を振り返って。」

 

   12月30日、午後年末年始料理の為に、買出しに 大野田ウジイエスーパーへ。

 なめたかれーが目当てである。仙台では年越に、酒のつまみとして、

 なめたかれーを食べる風習がある。煮こごりのおいしいあの魚である。

 一枚、3980円、5800円、8800円の三種類があったが、切れ身として5切れ程とれる

大きさである。なぜかこの時期になると、親父は内は なめたかれーだからとよくよく

言っていたものである。懐かしい思い出である。

 さて今年の政治は散々であった。

 2010年を振り返ると、国のあり方の不透明さ、また明治以来の制度の歪がはっきり

現れてきた一年であったと思う。

  民主党政権の未熟さの露呈、見守ってあげていたのも我慢の限界にきた。

福田内閣の時に小沢代表が参議院優位をもって、自民党と民主党の大連立構想

を持ちかけた。 その時の連立の理由は、このまま民主党が政権をとったならば

その民主党政治家個々人の資質の未熟さがあるので、国民に迷惑をかける。

 そこで、自民党政治家から政権の何たるかを学ばねばならないと言っていたことが

事実になってしまった。 又、この裏交渉は、読売新聞社渡邊恒雄主筆等の根回しで

実現したが、現菅内閣の主要人物らによって、ご破算になった経緯がある。

  一方、鳩山政権のばかおぼっちゃまぶりで、これが国民が求めていた民主党政権

  なのかと。

   普天間基地移転のぼかし作戦、5月末決着等、何もしていないのに、思わせぶり

発言の引き伸ばし作戦。驚くやら、あきれるやら。UFOの権威のアメリカ国防省とても

その慌てふためきぶりがわかるような気がする。宇宙人が交渉相手なのだから。

 側近が沖縄の現状を知らないで判断することの危うさを誰も換言しなかったのか。

仲良し内閣にもあきれる。総理が 大臣が自分の思いを吐露すれば良という物ではない。

お母さまから1500万円のおこずかいを貰うのが当たり前。だから政治資金の収入に

記入しなかったと十数年間。それは、れっきとした脱税による法律違反である。

しかし 総理特権発動で、上申書だけで、不起訴にしていまう検察当局の不見識、

そして馴れ合い。

これには、落ちがあって、12月にその脱税罰則金を減額してもらっていた事実が

報道されることになった。裏で何をしていることやら。

  5月末の小沢元幹事長との道ずれ辞任と次期衆議院への立候補しない決意表明は、

年末には 不出馬を取り消している。この軽さはどうしたものなのか。

 小沢幹事長の選挙時の手腕は、五十年来の政権交代をもたらしたが、既得権の崩壊

、国家予算の仕分け手法による情報公開等進捗した面もあるが、選挙期間中にささや

いていた埋蔵金や無駄の廃止により、いくらでも金を捻出できるとした夢物語の財政

再建論は砂上の楼閣の如く瓦解した。民主城炎上である。

 つまり、マニュファストの個別政策の全部の実行は税収不足にもよるが、財源の枯渇

により無理である事がはっきりしたのである。

  これからは、政策の優先的順位を決定し、その経緯を国民に説明しながら、

バラマキ政策をやめて決定政策ごとに着実に断行するしかない。

  早くも、その結果は今年の参議院選挙で、民主党惨敗、自民党横ばい、みんなの党

8人の当選 どちらも勝てない選挙、国民がどの党も信頼していない選挙結果になった。

  それを国民は自民党へ回帰しているごとき分析結果を示したメディアもいるが、誰も

自民党回帰を望んではいない。先祖帰りは当たらない。

  さらに、突然、降って沸いた消費税議論は、財政当局に知恵をつけられている国会

議員のなれの果てである。

  特に、選挙期間中の菅政権の 消費税増税政策の自民党受け売り政策は、菅総理

の厚生大臣時代の薬害エイズ対策は 前任者のパクリであり、そうゆう意味で議員と

しての資質に欠けると思うものであり、志の無き政策のぶれが露呈した格好だ。

  さらに、上目使いに、身近な人をいらださせる言動と、インタビユー時の変な

ニコニコ動画、国際舞台でのメモの朗読、外国要人との会見におけるオドオドした

態度には、日本人として惨めな気持ちにさせられた。

 又、尖閣列島問題の仙谷官房長官の外国との対処の仕方、パイプの無さ等、

あきれる。そして隠すという38(サハ)の性格がもろ見えてくる。

 自衛隊の暴力装置発言は確信犯であり、失言ではないのが怖い。

   興奮してきたので、頭を冷ますためにも、ここで一旦切ります。

    とりあえず、新しい年は、否応なしにやってくる。

     それも、またよしであろう。

         グッド ラック
                          

                             ハッピィー ニュイヤー 2011

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

白鳥

昨日アップした 荒星 の自句の解説をまたしてみたが。、

題 白鳥

  はくちょうや そらのあおさにそまらずに
 ☆白鳥や空の青さに染まらずに

  (若山牧水の短歌そのままとも、俳句にすると。
  短歌の解説。<白鳥は哀しからずや~
  白鳥は 哀しからずや
       空の青  海のあをにも 染まずただよふ
  白と青のコントラスト。そこに生まれる愛しさと悲しさ
  又、染まらないという気概。
  私の短歌は誰とも 染まらない、違うよと。
  自愛の短歌でもあるが。情調すぎるが。)

  せんそうのえいがかかりぬ としのくれ
 ☆戦争の映画かかりぬ歳の暮れ

  (年末になると 昔を懐かしむように戦争の
   映画がかかっている。そういえば、映画も
   このところ見ていないな。
   そういえば、この時期に、映画を見るなら、
   戦争の映画を見てしまう。
   何故かわからないが、そしてまた年が
   暮れてゆく夕べである。)
  

  ゆきはあたたか うみふかくいきをせり
 ☆雪はあたたか海ふかく息をせり

  (今年の年末は北国は大雪だという。
   クリスマス寒波もあり大変であったろう。
   二十年間程、青森県で暮らしたのでよく解る。
   大学時代4年間は弘前市で。冬はスキー部で
   大鰐スキー場の大学ヒュッテで八十日は暮ら
   した、いつも屋根裏部屋で寝袋暮らしだったが。
   寒かった。
   仕事では八戸市で北防波堤、中央防波堤、
   今飼料穀物サイロ等のある三号埠頭や
   フェリー埠頭も築造したなあ。冬は海の真ん中
   でマイナス10度での海上工事作業の指揮でも
   寒かったが、股引は最後まで履かなかった。
   それに中里町での若宮用排水機上も足掛け
   四年間の工事だった。
   ただ十三湖の周辺の埋立地にポンプ場を造る
   のであるが、超軟弱地盤で杭打機の大型重機
   の基礎地盤の安定作業が必須であったが、
   冬は 現場は岩木川の右岸の津軽平野の吹き
   さらしであり、気温はマイナス15度にもなるので、
   所謂、自然の地盤凍結工法により、以外に簡単
   に大型機械化施工ができた。
   基本は情報化施工という、掘削断面の矢板に
   ひずみ計を設置して、それで切り梁を設置したり
   数の増減をしながら、安全に掘削しながら、作業
   面を確保しながら施行したが。
   青森市の雪の量は尋常ではなかった。年間
   積雪10m以上の年もあって、陸奥湾の防波堤
   用のケーソン製作も大変でしたね。
   八戸港のケーソン製作は冬場は、シート養生に
   ボイラーによる蒸気養生をしながら、シート内は
   気温10度~15度内に計器でシュミレーション
   しながら温度調節をしながらの作業で、憲兵上
   がりのボイラーマンの夜間管理も厳格そのもの
   であったね。
    雪を見ているとこんな感じがしたということ句。
   この感性と見方が、ポエジーであるかは
   読み手であるあなたに委ねます。)

  グランドキャニオンよりおおわしのはねひとつ
 ☆グランドキャニオンより大鷲の羽一ツ

  (グランドキャニオンの旅行中、谷を縦断していた
   とき、何の羽根かわからなかったが、降って
   きた。
   褐色の大地の上の青空の上には大鷲一羽、
   鳶と同じように、輪をかいて上昇していた。
   氷河期の古代から、大鷲が飛んでいた永遠の
   この空の中に私は浮遊していった。)
  
  ふゆのはえ おおそらすみてゆくばかり
 ☆冬の蝿大空澄みてゆくばかり

  (冬の蠅が蔵の白壁にへばり付いている。
   ずっと昔から 蠅がいたように。懐かしく。
  それは子供の頃の原風景の中に、いつも
  現れては消え、突然、又現れる現象なの 
  です。
   何を暗示しているのか、わかりません。
   今の私の前には、仙台市、名取川の川原
   の大空を見ている。
   澄んで行く空があるだけです。)           

| | コメント (2) | トラックバック (0)

荒星 

久しぶりに、俳句を載せます。自分の句の解説をつけてみました。

題 荒星

  あらぼしや すなにうもれし こだいとし
 ☆ 荒星や砂に埋もれし古代都市

   (木枯らしの吹きすざぶ空に瞬く星々よ、
   砂に埋もれている古代都市がある。
   永き歳月の遺産、眠りからさめないで。
    エジプトのピラミットも、マヤのピラミットも
   12世紀の青森県津軽の十三湖に栄えた安部一族
   の日本海北航路文化も、一瞬の津波で跡形もない。
   今は、銀色の湖にシジミ採りの櫂の音だけだ。

  ベルリンのかべのかけらや しぐれにじ
 ☆ 伯林の壁の欠片や時雨虹

   (世界が変わった日、
    1989年11月のベルリンの壁の崩壊は偶然の
   市民の噂から始まった。東西ドイツが統一された
   との噂は一瞬にして、すべてが変わった。
    翌日、敬愛するロストロボービッチはその壁の前
    に立ち、バッハの無伴奏チェロソナタを弾きなが
    ら冷戦の終結を感じた。
     そして世界は変わったが、変わらなかったのは
    日本であった。そして20年がすでに去っている。
   ロストロボービッチが最後のチェロの演奏会を小沢
   指揮でドンキホーテーを弾いていた。二人の音に
   対する感性が同じであることをBS画面は伝えて
   いる。

  こはるびや たかしじひつのさくのまえ
 ☆ 小春日や節自筆の冊の前

   (あの小春日和の中に立っている。
    母に抱かれたような安らかな日々を思い出す。
    長塚節は茨城県常総市に生まれた。豪農の実家
    の家に入ってみたが、今でもボランテイアの皆さん
    が管理見守っておられた。部屋には自筆の短歌
    の短冊が掲げられてあった。
    その母の短歌を目の前にすると、私の心にも小春
    日和が訪れた。
    垂乳根(たらちね)の 母が釣りたる 青蚊帳(あお
    がや)を すがしといねつ たるみたれども  節
    尚、母物の茂吉はアララギ派で節の後輩に当たる。     

  みそだるにいしのりてあり つわのはな
 ☆ 味噌樽に石乗りて在り石蕗の花

   (どこの家でも作ったものである味噌。
    今では仕込み樽が納屋に放りぱなしにされている。
   時雨の頃になると、仕込んだ味噌樽は夜通し音がし
   ている。そうなのです。発酵している泡の音です。
   そしてそれを覗いてみると、川から拾ってきた代々の
   石がのっけてある。
   その味噌蔵への小径には、冬日の優しい光を放つ、
   黄色い石蕗の花が咲いている。
   家ごとにあった味噌の味を思い出しながら、大郷町
   の父母の居た頃の団欒の日々を思い出してしまう。)

  てのひらにまたとんでくるゆきぼたる
 ☆ 手のひらに又飛んでくる雪蛍

  (ふと手のひらに何か飛んできたものがある。
   雪虫とも言うが。
  雪蛍を見るとまさに、冬に入る前の空が広がっていた。
  その空は青春の将来への不安と心もとなさがある。
  そんな事を、還暦も過ぎて感じるている自分が、今も
  雪蛍を見ると思い出してしまう。
   何年か前に山寺で、主宰や句友と吟行にいった時、
  あんみつ屋から出てきた時、雪蛍が。句友も何か思
  い出すように遥か彼方を見ていた。

  げんばくドームにもとしのうつりけり
 ☆ 原爆ドームにも年の移りけり

   (原爆ドームも六十六年経ってしまった。
   そして、歴史的遺産として、残すためにその補修も
   いたるところ手が入れ始められている。
    その痕は今も生々しく黒光りしている。
   今年はアメリカの公使も原爆忌に参加した。
    戦争を知らない私は、せめて、原爆の恐ろしさ、
   愚かさを、世界中の人々に訴えかけていく義務が
   ある。 
   金子兜太氏の句:
  (日本銀行 長崎支店勤務時 昭和33年~35年) 
   湾曲し火傷し爆心地のマラソン
   1945年8月9日 長崎に原爆投下、すべてが
  湾曲し、火傷した。その悲惨な傷痕も十数年の月日
  経った。今、マラソンランナーがあの日の惨状のよう
  に喘ぎなら、倒れもせず走っている。
  この人間の営みの尊さと疼きがあると。
   ヒロシマの原爆ドームも同じように月日を経て、  
   去年、今年、来年へ,その姿を移してゆく。
   何もなかったように、全ての物に同じように、無常の
   時間が巡ってくるのです。)

   ライオンのくらうはくじん ふゆのつき
 ☆ 獅子の喰らふ白人冬の月

  (この句を読んで、あの絵が見えてくると嬉しいが。
   ダりでもなく、当然マネ、モネでもなく、ドガでもなく、
   砂漠のライオンと満月、眠れるジピシー女、
   蛇使いの女、等 密林の夢を描いた画家、暴力的
   な密林を描いた、そう、印象派のアンリ ルソーの
   絵の雰囲気を描きたかったが。 
   ルソーは、なんでこんな密林の絵画を描いたのか、
   又、それで、なぜ句にしたりもするのか。
   ピカソはルソーの絵を評して、芸術作品とは、ルソー
   の絵のように今までに無かったものを創作することと
   賞賛しているが。
    新しいイメージの句を表現しようとしたが、
   冬の月が見下ろしている不気味さ、人間の不条理
   又その斬新さ。
   新しい芸術の芽があればとも思うが、一人よがり
   である。)

  かんたくのまがるや きたのかいたくし   
 ☆ 寒柝の曲がるや北の開拓史

  (12月に入り、今日の晩も町内会のメンバーが拍子
   木を叩きながら、「火の用心」と「防犯」の呼びかけ
   をしてゆく。日本の年末の原風景が、まだ仙台市
   の街の真ん中で行われている。
    それを部屋の中で聞いている。
   拍子木の音が変わった。角を曲がったったのである。
   そして遠くへ消えてゆく。
    その時、ふと思ってしまった。
    明治の始めに奥州列藩同盟等の敗れ去った士族
   や廃藩置県で居場所を失った侍が、新しい土地、
   北の大地を求めて、苦労をしながら厳しい開拓に
   従事してきた時代を思い出した。
   ブラジルの開拓団も同じ思いがあっただろうが。
   そんなイメージを持つことの楽しさもあり、又、俳句
   をしていたためのご褒美かなとも。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年10月 | トップページ | 2011年1月 »