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2009年9月

田園 

★薔薇の赤鳥に極まり老婆美し

★椰子の実の流れてゐたる無月かな

★十三湊砂の啼き唄北塞ぐ

★鐘ひとつ西も東も春隣

★大寒や主ゐぬ間の鳩時計

★縄文遠し蜻蛉の眼は赤い

★灼け土のまんまるまるの中に立つ

★精霊舟吹き溜りたる向岸

★新聞紙に鮎並びたる五六匹

★川霧や老婆の洗ふ朱きもの

★まほろばの津軽や栗の毬割るる

★俎板に海を吐き出す海鼠かな

★梟の森刃こぼれの斧のあり:

★よく食べてよく寝て野山焼きにけり

★甍よりはるかに飛びし臥龍梅

★行く春や渦に渦なす最上川

★廃線の鉄路や昼の天の川

★こころなしか空あいてゐる夕立前

★裏山に雨連なれり百日紅

★宮城野に萩あり風の生るところ

★日時計に冬日さしゐる賢治の碑

★焼玉の音放ちけり冬の霧

★ふつくらと明日立春のメロンパン

★紅梅や大きな絵馬を裏返す

★こもごもの小径をゆきし残花かな

★新緑や流鏑馬の矢の放たるる

★日高見の空高くして囮鮎

★ホップ風バイクの音の空に消ゆ

★汗流す石工の腕太きかな

★門も戸も開けつ放しや稲穂風

★伊豆沼や白鳥鴨を羽で打つ

★雪国の暮れゆく先や落し蓋

★舟底の貝剥ぎとりて春を待つ

★中吊りの大きな文字や夏来る

★田園の水の音より生るゝ星

★穹破るかたちに竹の皮を脱ぐ

★東日流野海いつぱいの代田かな:

★首を絞め合ふ少年や墜栗花雨

★水上の能舞台なりあやめ草

★空蝉やコップに少し指の跡

★襖絵の孔雀逃げたる小春かな:

★突堤に四股踏んでゐる松の内

★母強しほうれん草の茎赤し

★焼鳥や恋も国家も飛んでをり

★白鳥の祈りの中に滴れり

★少し出る獣の性や望の月

★明易し片目のままの達磨かな

★寒椿三島由紀夫の遺品あり

★枯芒昭和は馬に乗つてくる

※最後の句に、兄貴(赤間白石)が馬に乗ってくるのは親父だねと。さすがである。

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弘前大学フィルハーモニー管弦楽団創立40周年を迎えて

弘大フィル創立40周年を迎えてーささやかな一歩から

                              OB会長 赤間 学

 はじめに弘大フィル40周年を迎えて、学生諸君、卒業生、教職員、

弘前市民の皆様にそして安達先生にありがとうと共におめでとうの

言葉を贈ります。

 昭和40年前半、世界中で大学紛争の嵐が吹き荒れていた。昭和

44年(1969年)1月 全共闘による東大安田講堂事件で東大入学

試験中止。4月 弘大の入学式は小編成のオーケストラ演奏で始ま

った。私には新鮮で感動であった。教育学部音楽科の合奏団であっ

たが他学部からの人もおり、この合奏の授業の聴講生として参加さ

せて頂いた。

 夏に音楽科の演奏旅行に聴講生も参加させて頂き、安達先生の

車にテンパニーを積んで楽器運搬隊として、小野君と先乗りして小

中高校での舞台設営に当たった。ラジオからはアポロ11号の月面

着陸のニュースが流れ、安達先生から、全学のオーケストラにした

いとの熱い胸の内を聞きながら、又、太田投手の三沢高校の準優

勝に沸いていた。

 9月になると、無期限ストの学部も増えて、毎日パート練習に励み、

安達先生の楽器保管室、音楽ホール、防音のピアノ練習室に屯し

ながら音楽談義に明け暮れ、日が暮れた。

 そして11月 有志50人程が全学オーケストラを結成し、ささやかな

一歩を踏み出した。コンサートマスターは人文の佐藤女史、団長は

音楽科の虎谷氏と決め、投票によりオーケストラの名を決めた。

同時期に弘前大学混声合唱団も活発に活動をしており、弘前オペラ

も発足し、ファガロの結婚を披露し、団員は掛け持ちで活動していた。

 1月に全共闘により弘大本部封鎖、そして機動隊突入により、過激

な学生は学外に去った。そして1月末には、無期限ストが解除され、

弘混と合同で、3月の卒業式に、 4月の入学式に演奏を重ね、大学

内での認知度も高くなったが、集中講義も待ち構えていた。

 6月には学内でアンサンブルの演奏会を開き、夏には小中高校へ

初の演奏旅行に出かけその利益は将来の為に楽器購入に当てた。

10月には お山参詣の玄関口の小学校の講堂を借り切って合宿を

張り、弘前市民文化祭協賛としての第1回定期演奏会に備えた。

 11月 演奏会の日、午後からどんどん雪が降ってきたが、ゲネプロ

終了後には行列が出来ていた。急遽、100席程増設したが立見が出来

、1500人以上の入場者を得た。

 指揮は安達先生でラプソディー・イン・津軽で開演し、アンコール後、

拍手鳴りやまず、再度「津軽」で応えた。終了後、すぐ安達先生と共

に楽器を大学に返却する為に動き市民会館小ホールでの慰労会の

終了間際に紛れ込んだ。それが伝統になっているらしいが。

 この一年間の活動が弘大フィルの大きな底流になっていると思います。

 以後、コンサートマスターは佐藤女史と医学の中島氏の二人体制、

団長は農学の赤間とした。

 ビバルディの四季が流行り、小沢征爾氏のバイクでの欧州音楽武者

修行の旅に憧れ、カラヤンの劇場用演奏会では、スコアを片手に聴い

ている団員が多かった。家庭教師先で三島由紀夫の割腹自殺を知り、

ビートルズが解散した。

 未完成と運命の第二回定期演奏会後、日本陸上400mリレーのように

バトンを2学年生にスムーズに引き継いだ。

 最後に、創立50周年には団員皆様と一同に返す機会を持ちましょう。

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